緑のある生活

 この1年ぐらいで緑色を特に好きになってきた。緑は緑でも深い緑。森の奥のような緑。それこそ今の時期なら、クリスマスツリーのモミの木が自分の好きな緑に近い。好きな人が緑色を好きとか、推しのメンバーカラーが緑色だったりは全然なくて、自分でもどうして今になって緑色を好きになったのかわからない。海なし県で生まれ育った自分はやはり海より山なのか、と自らの生い立ちを再確認している今日この頃だ。

 

 緑の色合いが気に入って、今年の春に緑色のコートを買ったはいいけれど、春に着るには緑が濃すぎる気がして、しかし秋に着るにはちょっと肌寒そうな生地の薄さで、色は最高なのに結局出番は少ないままだ。愛用しているハンドクリームもチューブが緑色で、それが側にあるだけでも穏やかな心地になれる。今使っている傘も緑のチェック柄だ。何かを色で選ぶときに緑を選択することが多くなったし、それで間違いないと思っている自分がいる。

 

 

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 この1年間ずっと部屋の壁に貼ってある豊永阿紀さんの写真も薄暗い林に差し込む光を写したもので、ぱっと見はほぼ黒なのだけど、それでも私はそこに緑を感じて、たぶん豊永さん以上に自分はこの写真を気に入っている。これは私の勝手な意見だけど、豊永さんは緑がよく似合う。今の豊永さんの髪色は暗いのだけど、ちょっと前まで明るいオレンジの髪色だった豊永さんは、緑が入っている衣装の時にオレンジの髪色と相まって佇まいがとても映えていた。『突然 Do love me!』のMVで、白に差し色の緑が入った衣装を着た豊永さんはオレンジの髪がとても映えていて、それは衣装に緑色が含まれているからだと思うので、その相乗効果が緑好きとしてなんだかうれしい。HKTVでは緑のベレー帽を被っていて、それもオレンジの髪にとても似合っていて可愛かった。

 

 結局、豊永さんを好きなことと緑が好きなことが両立しているのがうれしいに辿り着く。オタク的な結論に自分でも笑ってしまうが、生きるってそういうふうに好きが掛け合わさっていくことだよなと思う。そんな感じで今日も豊永さんの写真に見守られながら生活する。

 

 

 

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マッチングアプリつらい

 アラフォー、思い立って秋頃からマッチングアプリを始めてみた。結論から書くと、つらい。メンタルやられっぱなし。そもそもうまくいっていればブログなんて書かない。幸せな生活を送ってインターネットから消えています。時折見かける、表立っては言ってないけど実は付きあってました、なんて全然無理。つらすぎて書かないとやってらんないから書くわけです。

 

 コミュ障なので、始める前からマッチングアプリに向いていないとわかっていたけど、万が一向いている可能性もあるわけで、しかしその万が一の自信はどこにあるのかというとどこにもない。

 

 つらさの理由はいろいろあるが、マッチングするまでのプロセスがとにかくつらい。マッチングしてしまえば、その後は2人の問題となるので、物別れに終わったとしても納得出来る。しかしそのマッチングするまでにアプリにボコボコにされる。つらい。

 

 まずいいねが全然押せない。いいねを押さないと何も始まらないのだがいいねが押せない。いいねを押すのもエネルギーが要る。自分は電話をかけるのが苦手なのだが、いいねする時は電話並に勇気が必要となる。他人の人生に干渉する資格が自分にあるのかと自問してしまい、いつも躊躇してしまう。そして高望みしすぎなのもわかってる。アプリの画面をパッと見て、何かしらのアクションを起こすための判断材料が主に写真と年齢というのがつらい。結局顔と歳か、となってしまうアプリの構造に嫌気が差し、それでもそこを基準に踊らさせている自分がいる。

 

 難しいのは、プロフィールをちゃんと読めば読むほどいいねが押せなくなることだ。しっかりと詳細に書かれたプロフィールほど、読むと合わないなと感じてしまい、いいねが押せなくなる。本人のさりげないこだわりみたいなのも、ちゃんと言葉になると強く聞こえる。逆にふんわりぼんやりした雰囲気のプロフィールのほうがもしかしたらという期待があっていいねが押せる。難しい。

 

 しかもプロフィールを読んだところで実際はわからないのではという不安もある。プロフィールはあくまで自身が伝えたいことを伝える場で、それでいて自身の望むものを100%表現出来ているとは限らない。そんな不安があるのは、自分のプロフィールも自身を上手く表現出来てないと感じているからだろう。難しい。

 

 こちらがこう考えているということは、私を選ぶ側も同じようなことを考えているのだろうと思うと、なんかもう全部がつらくなってくる。考え過ぎなのかなとも思うけど、考えていかないと自分はやらかしてしまうので考えることは必要だ。アプリにボコボコと書いたが、神経質な自分自身の問題かもしれない。どちらにしろつらい。

 

 個人的なつらい理由として年齢的な問題もある。やはり相手は同年代がいい(結局自分も年齢で選んでいるのですが…)。となると自分はアラフォーで、相手もアラフォーだとどうしても結婚への考え方が重要になってくる。自分はまだ結婚のイメージがまったくない。良い人がいれば結婚したいぐらいの気持ちで生きている。しかし相手が年齢などを理由に結婚を意識するのは非常によくわかる。なので女性のプロフィールを読んで、今すぐ結婚したい、子供欲しい、と書かれていると、おぅ…、とそれだけで及び腰になってしまう。アラフォーが何がなんでも結婚したいなら結婚相談所に行けばいいのにと思う。自分だって、相手がいない状態で結婚に意欲が出てきたら結婚相談所に行くと思う。マッチングアプリで婚活はギャンブルではないでしょうか。とはいっても結婚相談所でビジネス感覚で結婚するよりも、少しは恋愛みたいなのをしたい気持ちもよくわかる。そのあたりのトレードオフをどうするかですよね。そんな感じで、私はとりあえず相手のプロフィールの結婚への意欲と子供の欄を読んで、勝手につらくなっている。考え過ぎなのはわかっている。

 

 自分の結婚への意欲のなさは、(少なくとも現在は)経済的にも精神的にもひとりで生きていける余裕があるからで、それはとても幸運なことだ。あと結婚に乗り気でないのは、(現状では)相手に対して申し訳なさが先に立つからだ。自分自身がまっとうでない自覚があり、その薄っぺらさを隠すためには結婚がいいのではないか、結婚すれば一応は普通の人と言えるのではないか、という目論見がある(普通が何なのかはまた議論が必要ですが)。しかしそのような理由で結婚するのは、パートナーに失礼だということもわかっているから結婚に消極的だ。結婚すること自体が目的となった結婚ではなく、人生の進む方向に自然と結婚があるほうがいい。つまり結婚に至るプロセスが重要なのだが、そのイメージが今の自分には想像出来ない。もっとくだけた感じで表現すると、恋愛がわからない、と言ってもいいのかもしれない。さらに突き詰めると他人への興味の無さが問題となってくる。結局ひとりが気楽なのか。いろいろ考えていくと、あらためて自分は他人と深い関係を結ぶ気がなく、かなり軽薄なのではないかと思えてきて、自分に幻滅する。利用するマッチングアプリを間違えたのかもしれない。

 

 やはり自分にはつらいなとアプリと距離を取ると、如実にメンタルが穏やかになるのが自分でも笑ってしまう。そこまでつらい思いをしてまでマッチングアプリを使わなくてもいいじゃない、と思うけれど、そうでもしないと出会いはないんですよね。しかし切実に出会いを欲しているかというとよくわからない。それでも数年前だったらこのような苦手なことに挑戦しなかっただろうし、今は上手くいかなくても、挑戦しているだけでも自分に余裕があるんだなと思いたい。

 

 どういう人と出会いたいかとよくよく考えてみたら、ひとりでも楽しそうに生きている人、という人物像が思い浮かんできて、いやそんな人は既に幸せなんだからマッチングアプリにはいないと結論が出てしまった。はい終わり。悲しい。(人間関係で満たされている人でもマッチングアプリを使う時があるのか気にはなる)。

 

 パートナーがいること、結婚すること、家庭を持つことが全てではない。わかりますよ。今はいろんな生き方があるし、それが許容される社会になりつつあることを。しかしそれと個人的な問題はまた別で、そのような様々な生き方があることをわかっていても、私自身がまともと思えるためには多様性はあまり意味を為さないんですよね。自分が古い人間だからこその呪いなのか。

 

 いつもはエンタメの感想ばかりブログに書いていて、こんな感じで自分自身をインターネットで切り売りしていきたくないとずっと思っていたけれど、こればかりはブログに書かないとどうにもダメージが大きすぎる。これを誰かに読まれて、嘲笑されるぐらいしか救いがない(笑えるのか?)。結局マッチングアプリがつらいというより、マッチングアプリによって自身の問題が炙り出されて、それに心が抉られているだけなのかもしれない。

 

 もう少しマッチングアプリを続けてみようとは思う。つらくなると、豊永阿紀さんの「自信のなさがチャンスをつぶすことがないように」を思い出して奮起する。こういう時の言葉ではないような気がして豊永さんには申し訳ないけど、そこに縋るしかない。しかしまあつらいですね(1年分ぐらいのつらいを書いたのでここから1年つらいは封印します)

10周年と手を振り続けた1年

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 HKT48劇場10周年記念特別公演の11月27日後期公演の感想です。

 

 前期のちょっとした感想はこちら。

 

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 前日の26日はお見送りが当たるくじを引くことすら出来なかったので、この日は早めに劇場に向かいました。HKTの劇場がある建物E・ZO FUKUOKAはPayPayドームの隣で、外はもろに海風が吹き荒ぶ場所です。日も暮れて海風が寒い中を並び(結果的には並ばなくても買えたのですが)、写真を買って売り場スタッフにエールを送られながらくじを引いたところ、なんとか当選人数10人の中に滑り込み。ロビー観覧とお見送りの権利を得ることが出来ました。感謝🙏🏻(何回ループしたかは聞かないでほしい)。

 

 

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 たとえロビー観覧であっても、家でDMM配信を見るのとは大違い。名前も知らないオタク達と共に見る連帯感と、ロビーのすぐ隣でHKTがパフォーマンスしていることを想像しながら見るのは、確かに現場感がありました。

 

 後期公演の豊永阿紀さんといえば、まずは何よりも『涙の表面張力』のソロでしょう。10周年公演でソロを任されたのは矢吹奈子さんと豊永さんのみ。それだけ期待されてのことです。

 

 『涙の表面張力』の直前が『3-2』でした。『3-2』は豊永さんも結構目立つ曲です。しかしロビーの大きな画面で見ていて、激しく踊るメンバーの中に豊永さんを探したもののどうにも見当たらない。豊永さんなら必ず出るであろう『3-2』に敢えて出ていないなら次の曲に出るのだと予想はしていたのですが、まさかソロだとは思いませんでした。『3-2』は見るほうもかなりエネルギーが要ります。なので曲が終わった時に集中力が途切れて、ちょっと気が抜けたんですね。その一瞬無防備になったところを豊永さんに狙われてしまいました。不覚…。

 

 体験はしていないですが自分でも知識として知っていた豊永さんの「ギリギーリ」。とにかく歌い出しの気迫がすごかった。歌声の圧が劇場の壁を越えてロビーまで波動のように伝わってきました。ズドン! ときた。その瞬間、ステージには豊永さんひとりのみ。博多の中心でギリギリと叫ぶ豊永さんは、ただただ孤高の存在でした(私にとって博多の中心は劇場です)。

 

 しかしよくよく考えなくても圧を感じたのは錯覚です。私が豊永さんを好きだから感じ取ってしまった魔法のようなもの。それはロビ観であっても何かしらの特別な瞬間に出会いたいという欲望が、このような体験を生んだのかもしれません。そう考えるとなんだか惨めにも思えますが、だいたいが表現する者とそれを受け取る者の間に完全に一致する理解があるほうが珍しい(だからこそ一致した時が尊いのですが)。届けたいものが100%そのままに受け取れられたら素晴らしいですが、こちらがどう受け取ろうが自由です。なので自分のこの感想も身勝手な美化にすぎないのだけど、豊永さんのパフォーマンスの素晴らしさは変わりありません。

 

 胸に迫る歌は、冬の朝の空気に触れたような目の覚める鋭さがあった。本当に豊永さんは場の空気を一瞬で変えます。この時の豊永さんは、歌はもちろん、その場にひとりで立っている存在そのものが強く光を持っていました。生誕祭の時も思ったのですが、豊永さんの私が主人公と信じている時の最強感がやばい。絶対無敵のスター状態でキラキラ光っている。そのように輝ける場所を豊永さん自身が作り上げていることが何より素晴らしい。

 

 どのような仕事だろうと彼女が真摯なのは当たり前ですが、殊更に誰もが重要だと考える場面に自分も立ち会えたことが、うれしいというよりホッとして気持ちになりました。歌っている時の張り詰めた空気から、曲が終わって幸福と安堵が少しずつ身体に沁み込んでいきます。胸いっぱいでした。

 

 

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10周年公演の翌日に行われた劇場での衣装展示

 

 

 公演本編の最後は『誰より手を振ろう』でした。現在は違いますが博多なないろ公演1期のアンコールで歌われた、私も大好きな曲。1年前にHKTを好きになって、そこから博多なないろ公演を見続けて育った私にとって、とても大切な曲です。なないろで聴きすぎて自然と振りコピまで出来るようになりました。この曲のように、好きな曲を節目の場面で聴くことが出来ると、オタクとしての自分の嗜好がHKTの本流からズレていないような気がして安心します。

 

 『誰より手を振ろう』は曲そのものも好きなのですが、なないろのチームブルー公演ではこの曲しか豊永さんが近くに来てくれないこともよくあって、とても救われた記憶があります。自分はよく当日券で入っていて、当日券は基本的に立ち見です。『誰より手を振ろう』をアンコールで歌っていた頃のブルーのセットリストは、とにかく立ち見のある上手側に豊永さんは来てくれませんでした(1曲目の『アイドルの王者』ぐらい?)。そしてアンコールの最後の曲である『誰より手を振ろう』で、やっと上手の立ち見に最も近いところまで豊永さんは来てくれる、そんな状況でした。認知も何もなかった自分は、その時だけうちわの力でレスを頂く、それを博多なないろ公演が行われている間はずっと続けていました(今はセトリが変わってますが)。それでも楽しかった。レス云々は置いておいて、オタク3日目の熱量で公演は楽しかった。そんな感じで、HKTを好きになって劇場公演を見始めてから、初めて生まれた思い入れのある曲が『誰より手を振ろう』なんですね。公演の締めとして相応しいから選曲されやすいとはいえ、思い入れのある曲をこのような大切な公演で歌ってくれるとすごくうれしくなります。

 

 無事に公演が終わった最後にHKTメンバー全員によるお見送りがありました。私にとってのこの日のメインイベントです。慌ただしいスタッフの説明に緊張してきます。劇場内のお客さんのお見送りに続いてロビーのお見送りのみ参加者が劇場に入ると、ステージの下には大人数のメンバーが勢揃いしていました。1列に並べないので折り重なっています。劇場に入ってすぐにお見送りなので、とにかく豊永さんがどこにいるか確認しました(必死)。が、いちばん上手のお見送り開始のポジションにおいもちゃんと並んでいるのをあっさり発見。安堵するのも束の間、お見送りがすぐに始まって豊永さんの目の前に行ったら、気付いてくれたのか思いきり手を振り返してくれました。気付いていたと信じたい。その後は流されるままにたくさんのメンバーと会釈してお見送りは終わりました。一瞬のような、でも豊永さんと向き合っていた時間はとても長く感じられて、不思議な時間でした。

 

 私が通り過ぎた後もこちらに向かって手を振り続けたくれた豊永さん(直後の人ごめんなさい、でもおいもちゃん推しだったから許してほしい)。そのずっと手を振ってくれた姿は、『誰より手を振ろう』の続きを見ているようで、この1年間の集大成のようにも感じました。そこにあるのは別れの挨拶ではなくて、次にまた会うための約束の挨拶。手を振り続けた先に今があります。過去があって今があって、そして未来がある。その今現在のきらめきに目を細め、未来に希望を見い出せる瞬間でした。ありがとうございました。

 

 楽しい10周年公演でした。もちろん長く見続けてきたファンとは感じるものは違うと思います。私は私なりに楽しかった。HKT48の歴史と未来を感じられた2日間でした。最後の松岡菜摘さんの言葉がとても頼もしく、11年目も楽しみです。豊永阿紀さんもさらに活躍する予感がしてわくわくします。あらためて10周年おめでとうございます。

 

 

 

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私と豊永阿紀さんと『君のことが好きやけん』

 HKT48の10周年記念特別公演が11月26日と27日に開催されました。

 

 活動が10年続くことは本当にすごい。10年は相当長いですよ。長く活動を続けているアイドルの例に漏れず、HKTも周年公演への力の入れようがすごいです。そんな記念の公演で、たくさんの人に見てもらいたいと思っていても、劇場で公演することにこだわっていることも好感が持てます。

 

 なので当然公演のチケットは当たらず。これはHKTを長く見てきたファンのための公演なので、新規はチケットが当たらなくても文句は言えません。

 

 そうはいっても諦めきれない自分がいます。26日は最初こそ配信で見ていたんですが、居ても立っても居られず、途中で劇場に向かっていました。10周年の特別な企画として、公演写真を購入するとくじが引ける企画があり、当選すると最後のお見送りにだけは参加出来るとのこと。それに参加してみようと劇場に行きました。しかし到着するのが遅くて、既に当たりくじは全部出た後。のんびりし過ぎましたね。

 

 仕方なく隣のマークイズのスタバでフラペチーノを飲みながらDMM配信を見ました。

 

 26日の前期公演は期別で始まりました。詳細なレポは他の人に譲るとして、私は4期推しなので4期について述べたい。4期が歌ったのは『君のことが好きやけん』でした(タイトル合ってますか?)。私も大好きな曲です。何故ならSTU48で数えきれないほど聴いてきたから。そしてHKT48、特に豊永阿紀さんと関連して、とても思い入れが深い曲でもあります。

 

 突然過去に遡りますが、私が豊永阿紀さんのパフォーマンスを初めて意識したのが2019年のTIFスマイルガーデンでの『君のことが好きやけん』でした。現場ではなく録画で見ていて、曲の最後の場面でカメラに抜かれた豊永さんの表情が最高にかっこよかった。レンズのその先の画面の向こうにいる人をグッと離さない視線があった。その視線に私は惹きつけられて、君好きだけを繰り返し見続けた記憶があります。それまで文章や写真でしか知らなかった豊永さんの、アイドルとしての本当の姿を見れた気がして、それまでよりも豊永さんへの興味が高まりました。

 

 10周年公演の君好きは、私にあの夏を思い起こさせてくれました。結局TIFを見ても、実際に福岡に遠征するまでには至らなかったのですが、あの時があったから今があるのだと私は思っています。TIFの時と同じく、この公演でも最後はセンターに豊永さんがいて、カメラも豊永さんを捉えていて、豊永さんも真っ直ぐにカメラを見据えていて、その全ての組み合わせが奇跡を生んで私に感動を届けてきました。この1年間HKTを見続けてきた結果が、想像を超えて、さらに過去の記憶を呼び起こし私を揺さぶってくる。予想外の伏線回収の感がありました。

 

 このような節目の公演は、アイドルとファンが同じ過去を共有したことを確認するための時間でもあります。あんなことがあったね、こんなこともあったね。昔話に花が咲きます。そんな長く見続けてきたファンのための公演です。

 

 しかし私の君好きの思い出は、私の一方的な思い出です。豊永さんにとってはただの暑い夏の一曲でしかなかったのかもしれない。そこにまだ新規、たぶん今後もずっと新規だと自覚している自分の寂しさがある。こればかりは出会いのタイミングだから仕方ないと思っても、皆が懐古で盛り上がっている時に一歩引いてしまう自分がいます。見続けていけば、この劣等感も解消されることがあるのだろうか。

 

 豊永さんは『向日葵』も素晴らしかった。下野由貴さん上野遥さん上島楓さんという信頼し合っている4人で歌った『向日葵』は、新規ファンの私にもさすがに文脈がわかった上での素晴らしさがありました。上島楓さんが卒業するまでの残された時間、この瞬間を忘れられないものにしようと、互いを思いやる4人の息遣いが痛いほど伝わってきた。しかしそれでも演者や熱心なファンと私の間では、このパフォーマンスに対する思い入れの深さに差があるはずです。私はまだまだ知らないことが多すぎる。知るよりも先に、集った仲間が散り散りになっていく悲しみ。光よ離れないでくれと、叶わない願いを込めて見ていました。

 

 歌われる曲に対して、アイドルから見てもファンから見ても、同じ景色、同じ空気、同じ感情があるのは幸いです。いつか自分にもそういう記憶が生まれるのを願って、11年目のHKT48を見続けると思います。10周年おめでとうございます。

12月

 12月。書いても書いても書きたいものが溜まっていく。書きたいものが文字として産み落とされる速度よりも書きたいものが積まれていく速度のほうが圧倒的に速い。テトリスでいうと天井に届くまであと一段ぐらいのぎりぎりの状況でなんとか凌いでいる感じ。

 

 ライターでもないし、好きで書いているだけなのに、気持ちは締切に追われるライターと同じ感じかもしれない。次のあのライブまでにこのブログを書き終わらないと、また溜まってしまう。そんな焦燥感と共に生きている。

 

 そこまでして何故書きたいのかというと、やはり忘れてしまうからだと思う。いや、書いている時でも既に忘れかけている。何かのイベントの感想を書く時も、その当日の気持ちそのものではなく、当日の気持ちを思い出そうと努めて出てくる記憶の断片でしかない。それでも書かないよりはいいと思い、書き留める。忘れてもいいように書き留める。写真も同じ。

 

 なんとか書いたとしても、自分の文章に全然納得がいかない。書いている時は、これはいい感じなのではと思っていても、いざ公開すると、本当につまらない文章に見えてくる。圧倒的に軽く浅い。そうやって書いて公開して後悔までがいつもワンセット。もっと面白く書きたいと、書き方の本を読んで学んだりもするけれど、そう簡単には面白くならない。

 

 追い討ちをかけるように、最近読んだ『邦キチ!映子さん』の花束回に出てきた映画感想ブログを書いている池ちゃんというサブカル野郎にかなりやられてしまった。そもそも私は『花束みたいな恋をした』で重傷を負っていて、その『花束〜』を取り上げた邦キチでさらに傷が深くなってしまった。池ちゃんが自覚している自分の書くブログがつまらないという悩みは、そのまま私にも当てはまる。自分は池ちゃんの劣化版…。だけど、つまらなくても書くしかないんですよね…。そんな辛さを抱えた12月。

 

 

 私にとどめを刺したツイート。

 

 

 

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最高の豊永阿紀さん生誕祭

 11月18日に博多なないろ公演ピンク&ブルー、豊永阿紀さん生誕祭を見ました。念願の推しの生誕祭です。なんとか当日券を買えたので劇場で見させていただきました。本当に、最高の生誕祭でした(最高しか言えないおじさん)。

 

 これまでも何回か48グループの生誕祭は劇場で見たことがありましたが、所謂推しの生誕祭はこれが初めて。STU48甲斐心愛さんの生誕祭は毎年外れていたので、初めての推しの生誕祭は緊張しました。最後列でも見れるだけで感謝。もちろん正装のとよぬいバースデーTシャツで馳せ参じました。

 

 今回の豊永さん生誕祭がチームブルーメンバーの初めての生誕祭でした。通常運転でもやばい勢いで盛り上がるブルーが、果たしてブルーメンバーの生誕祭だとどこまでリミッターが外れるのか、期待しかありませんでした(無観客でやった松岡はなちゃん生誕祭の『ハイテンション』が私は大好きです)。

 

 ライブはいつも以上に溌剌とした豊永さんでした。新しくセットリストに加わった『私たちのReason』が見る度に好きになっていきます。弓を射る振付の時の豊永さんはビシッとした動きが凛々しくてかっこよかった。豊永さんを見ようとすると視界には山下エミリーさんも入ってきて、この出会いは奇跡と歌う彼女の姿に、オタクは奇跡とか運命が大好きなので最高な気持ちになります。前回の公演ではやらなかったエミリーさんのABC自己紹介が復活して、この自己紹介が大好きなのでうれしかった。

 

 ライブはもちろん楽しいです。しかしブルーを見ていると、どうしてもMCについての感想に偏ってしまいます。何故ならブルーのトーク戦闘力はHKT最強だから。

 

 いつものように村重杏奈さんが面白いのは言わずもがな、この日の生誕祭では川平聖さんが大爆発していました。積極的に話す聖さんにみんな驚きつつも、その一生懸命さが微笑ましいを超えて笑いを誘うところに聖さんの良さがあると思います。

 

 特に『ハイテンション』前のMCは過去最高の盛り上がりといっても過言ではなく、私の周囲含めて笑い死にそうでした。話しても話しても話し足りない聖さんに対して、村重さんが「今日すんげー喋るじゃん」とツッコんだはいいけれど、当の聖さんは自分のことだと気付かずに後ろを見やって、村重さんに「お・ま・え〜」と追い打ちをかけられる場面は芸術かと思うほど素晴らしかった(DMMではその肝心の聖さんが映ってなかったのが残念)。この日は聖さんの勢いもあり、村重さんと聖さんのバチバチが良い方向に火花が散っていて、ブルーのネクストレベルを感じました。

 

 豊永さんの生誕祭なので彼女の話題が多く、これまで選抜で2列目より後ろになったことがないのは初めて知りましたがすごいことですね。改めて自分は人気メンバーを好きになったんだなと実感しました。豊永さんが何度も繰り返し言っていたように、初期からのファンの根強い応援があるからこその現在のポジションなので、自分みたいな新規は古参の慣らした道を楽に歩かせてもらってるわけでもあり、昔からのファンには感謝しかありません。

 

 生誕祭だからということもあって、豊永さんの今日は私が主役です! と胸を張ってステージに立っている姿が本当に可愛くてかっこよかったです。祝い甲斐があります。周りからの愛を躊躇なく受けとる豊永さんだから、さらに愛に恵まれるのでしょう。

 

 豊永さんの生誕スピーチは長いらしい、と最近知ったのですが、実際に今回聞いてみたら全然長さを感じませんでした。好きですからね。何時間だって聞いていられます。私が思う豊永さんのこの1年の大きな出来事というと、劇はじとミュージカルが挙げられますが、豊永さんもこれらに言及していて、スピーチで取り上げるほど彼女が全力で向き合った作品を、こちらも全力で受け止めることが出来たのは幸いだったなと思います。HKT48を追いかけていると、なんで地元のアイドルを東京まで見に行かなければならないのかと思うこともあるけれど、豊永さんのミュージカルに関しては本当に東京まで遠征してよかったです。

 

 豊永さんは会えない期間があっても、ファンの人達とは、私とファンひとりひとりではなく私達という関係になれたと言っていました。自分はまだそこまでいけてない感覚ですが、いつかはそう思える時が来るのかなと、それまで見続けたいです。会えなくても豊永さんはブログだったり写真だったり配信だったり、いろいろな形で発信し続けてくれています。常に何かしら届くもの、ワクワクするものがあるから、握手会のような個人的なコミュニケーションがなくても私は好きを続けていられるのでしょう。そしてその中身はもちろんのこと、自分の声を届けることへの情熱に私は引き寄せられているのかなと思います。

 

 ここ最近はメンバーの卒業発表が続き、まさかとは思うけどまさかないですよね、といった不安が正直なところありました。豊永さんなら大丈夫と思っていても、気持ちがネガティブな方向に傾くと、絶対大丈夫なことなんてこの世にはないと確信も揺らぎます。当日も、自分は最後列で見ていて、近くには家族らしい人達が座っていて、これはもしやフラグではと緊張しました。

 

 そんな私のしょうもない心配は杞憂に終わり、豊永さんはこれからもHKT48で活動を続けると力強く宣言してくれました。あまりにも力強いので、自分以外にもそういう不安を抱いている人の存在を豊永さんはわかっていて、そんな彼らを安心させたかったのかもしれません。HKT48に限らずですが、新しい目標に挑戦するためにアイドルを辞める選択をする人も多い中で、豊永さんはアイドルでありつつ自らの活動の領域を広げようとする道を選んでくれたことがとてもうれしかった。22歳の豊永さんも期待しかないです。

 

 最高の生誕祭でした。推しの生誕祭がこんなに楽しいなんて、これ以上幸せなことがあるでしょうか。推しの生誕祭だから無条件に私は幸福なのか、誰がどう見ても豊永さんの生誕祭が良かったのか、私にはわかりません。言えるのはあの時間の劇場は溢れるほどの幸せに包まれていました。みんなずっと笑っていたし、この先も笑顔が絶えない未来であってほしい。いつかのストーリーの上島楓さんだけでなく、豊永さんに関わるすべての人も、笑い合ってる未来が似合う私達だと思います。素晴らしい生誕祭をありがとうございました。あらためて22歳おめでとうございます。大好き。

 

 

 

 

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ブルー&オレンジ再び、そしてあかりさんの光り溢れる生誕祭

 11月16日、博多なないろ公演ブルー&オレンジ渡部愛加里さん生誕祭を見ました。上野遥さんに続いて、2回目のブルーとオレンジによる生誕祭です。

 

 

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 以前のブログで書いたように、私はブルーとオレンジを対照的なチームとして見ていました。個で魅せるブルーと、チームワークで圧倒するオレンジ。

 

 再び同じ組み合わせで見れたので、今回はブルーも全体を見るように心掛けました。そのように見たらブルーもダンスが揃っているんですよね。驚きました。アイドルだから当たり前といえば当たり前なのですが、今までダンスが揃っているという観点でブルーを見たことがなかったので、とても新鮮でした。

 

 しかしブルーが終わってオレンジが始まったら、さらに驚いたことにオレンジは異常なまでにダンスが統一されていました。オレンジさんごめんなさい。やはりオレンジはすごかった。とはいっても、これもオレンジのパフォーマンス重視のチームという先入観があるからそう見えているだけかもしれません。

 

 ブルーはやたらと歌詞を変える『ハイテンション』でもわかる通り、自由に好きなようにパフォーマンスするのがブルーの良さです。それぞれの個性のぶつかり合いがブルーをブルーたらしめています。対してオレンジは、上野遥さんのリーダーシップによって皆がひとつのパフォーマンスイメージを共有しているような雰囲気があります。その統率されたステージはグループアイドルのパフォーマンスの理想形です。

 

 どちらも素晴らしい。オレンジの綺麗に揃ったダンスも好きだし、ブルーみたいに己の武器を信じてステージでバトルロワイアルを繰り広げるのも見ていて楽しい。いろいろな楽しみ方が出来るのが博多なないろ公演の良いところだと思います。ブルーとオレンジの組み合わせを見るとそれがよくわかります。

 

 他のチームからブルーは破天荒過ぎとよく言われますが、実は(?)チームワークも抜群で、攻める人もいれば守る人もいます。攻めっぱなしで守備に貢献しない田島芽瑠さんと村重杏奈さんのバランスを取るために、ブルーでは山下エミリーさんと栗原紗英さんが攻守に奮闘しています。去年ブルーを見始めて驚いたことのひとつに、栗原紗英さんの的確なコメントが挙げられます。それまでおっとりしているイメージしかなかった紗英さんが、MCでは絶妙なタイミングでツッコミを入れたり、言葉は少ないながら確実にその場の雰囲気を良い方向に持っていくことに気付いて、ちょっと感動した記憶があります。エミリーさんはブルーのリーダーとして公演を滞りなく進めるために、収拾のつかなくなった場面をまとめようと頑張るのですが、たまに気が抜ける瞬間もあって、その落差が可愛いです(急にサッカーで例えてすみませんが、自分的イメージは紗英さんがボランチでエミリーさんがCBです)。しげさんは攻め続けても常に冷静な視点を忘れないので、これが売れるための技術かといつも感心します。このようにブルーはバラバラなようでいてしっかりチームとして機能しています。ブルーを見ていると、ここは攻めのタイミングと勘付いた豊永阿紀さんや川平聖さんが前に出れば周りはしっかりフォローに入るし、皆がそれぞれのくせの強さを理解しているからこそのチームワークの存在を感じます。このような連携を見るのもブルーの楽しさです(ここまでずっとMCの話でそれはそれでいいのか?)。

 

 ブルーが好きだからブルーの話に偏ってしまいますが、この日の主役は渡部愛加里さんです。豊永阿紀さんを好きになると自然とあかりさんにも詳しくなってきて、いつしか気になる存在となっていました。ドラフト3期ということは、STU48の沖侑果さんや中村舞さんと同期。もしかしたらAKB48の握手会でやってた、大勢のドラ3と一気に握手した圧巻の無料握手会で自分もあかりさんと握手していたかもしれません(誰が誰だかわからず自分も握手してた)。STUのドラ3は加入初期から見ていますが、なんだかドラ3は実際の活動期間と体感の活動期間にズレがあって、若手なのかベテランなのか自分でも掴みあぐねています。

 

 渡部愛加里さんはRESET公演でよく見るようになり、アイドルという職業に愛されているあかりさんは、誰もが言うようにいつもキラキラしています。本当に眩しい。だからこそ生誕祭のスピーチで、弱気な時もあったと告白したのは、もちろんあかりさんも人間だからネガティブな時もあるだろうことはわかりますが、それでも驚きました。側からは順風満帆に見えるあかりさんでも悩むことがあるのですから、やはりファンから見えるのはアイドルのほんの一側面でしかないのでしょう(熱心なファンはわかっているのかもしれませんが)。

 

 生誕祭の司会は、あかりさんに慕われている豊永阿紀さんでした。そわそわと緊張している様子の豊永さんは初めて見たので新鮮で、豊永さんでも緊張が表に出ることがあるんですね。生誕祭はその人をいちばんに推している人が見るべきだと私は思うので、これまではなるべく推し以外の生誕祭は避けてきました。しかし今のHKTは生誕祭ばかりで、生誕祭を避けたら避けたで卒業発表なので、自分の生誕ポリシーを守っていたら心穏やかに公演を見る機会がなくなってしまうと思い、生誕祭にも入るようになりました。しかしこうやっていろんな人の生誕祭に入ってみるとそれぞれ雰囲気が違って、やはりファンは推しに似るということがわかります(自分はわからない)。そして親しい人を祝う豊永さんを見るのも幸せなことに気付きました。生誕祭は誰を見ても幸せになれます。すべてが良い。

 

 あかりさんらしい暖かい光に溢れた生誕祭でした。17歳もたくさんの愛に恵まれる1年となることを願っています。素敵な生誕祭をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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