別れに際して思うこと

 STU48の甲斐心愛さんがマレーシアのクアラルンプールに新しくできるアイドルグループ、KLP48に移籍することが発表された。ここ最近の心愛さんは写真集を出してグラビアを頑張っていたり、ファンクラブも作ったりと、とても勢いがあっただけに、突然の海外挑戦に驚いた。驚きはしたけれど、思ったよりもすんなりと受け入れていた。まあ、会いたいならクアラルンプールに行けばいいじゃん的な。

 

 アイドルの卒業などが発表されても、自分はあまり悲しまなくなった。もちろん寂しいことに変わりはない。でもどこかで幸せな人生を送ってくれていれば、それだけでこちらもうれしい、ぐらいの気の持ちようになっている。いつか会えたら幸運ぐらいの可能性があるだけでも感謝している。アイドルオタクを続けすぎて、感情が麻痺しているだけかもしれないけれど。

 

 アイドルであった時間に偶然アイドルと私の人生が交差しただけという認識なので、側から見ればほぼ他人同士だ。私にも彼女達にもそれぞれの人生がある。いつかは距離が離れるが、そのタイミングが今訪れただけぐらいの気持ちだ。いろいろ考えると、自分は他人に興味がないから、こういう思考なのかなと疑ってしまう。もっと他人に興味を持ったほうがよいことはわかってはいるのだけど、心の醒めた部分がブレーキをかける。移籍の報に泣ける人が羨ましい。

 

 移籍の話を知って、寂しさよりも、挑戦する心愛さんはすごいなという尊敬する気持ちのほうが大きい。私はここまでいろいろなものを置いて、新しい地で挑戦する覚悟は持てない。私から見ても覚悟があるように感じる福田朱里さんですら、心愛さんに対して、私にはそこまでの覚悟はないと言っているのを聞いて、同じメンバーから見てもその覚悟がすごいことがわかる。

 

 尊敬の気持ち、そして期待のほうが今はとても大きい。心愛さんが世界でどう輝くのか、楽しみで仕方ない。私もいつでもマレーシアに行けるように言葉の勉強を始めた(Duolingoにはマレーシア語がなかったのでインドネシア語だけど)。調べたらマレーシアは英語が話せれば問題なさそうだけど、やっぱりここは現地の言葉を使ってみたいので、新しく学習を始めた。パスポートも期限が切れているので更新しないといけない。私にも挑戦する一歩を踏み出させてくれた心愛さんに感謝しつつ、残り少ない日本での心愛さんとの時間を大切にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメコが見たHKT春コン

 先週末にHKT48のコンサートを見た。昼夜公演両方ともにカメコ席。たくさん撮影したし、久しぶりのホールでのコンサートはとても楽しかった。

 

 私のカメコモチベは周期があって、今はモチベーションが高い時期となっている。それでもコンサートが終わって、自分が撮った写真や他のカメコさんが撮った写真を見て、自分のと似たような写真があると、わざわざ自分が撮影しなくてもいいんじゃないかなと、毎回思ってしまう。あとライブ中は基本的にずっとファインダーを覗いてシャッターを切り続ける作業なので、自分がシャッターを切るだけの機械になったような気分になってしまう。こう感じることがよくあって、以前一度カメコから距離を置いたことがある。その頃は撮影できるライブでもカメラを持っていかずにステージを見ていた。今はそれでも自分で撮ることに意味があると思ってカメコしているが、ライブ後はいつも迷いが生じる。これはカメコを続ける限りずっと迷い続ける気がする。

 

 そんなカメコの悩みは誰も興味がないので、切り替えてコンサートの感想を書いていこうと思う(こちらも誰が興味を持つのか知らないけど)。

 

 

 

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 豊永阿紀さんによるコンサートの振り返りブログでも書かれているが、自分も昼のコンサートで印象に残ったのは序盤の『止まらない観覧車』だった。観覧車を聴くと、HKTのコンサートにやってきたという実感が湧く。大きなステージでのパフォーマンスが映えるし、この曲でコンサートと向き合うスイッチが入ったように感じた(遅い)。

 

 撮影しながらなので、基本的にファインダー越しのHKTなのだが、そうやって見つめていると、いつも以上にメンバーに対して幸せを願う気持ちが強くなるのを感じる。カメラでも双眼鏡でもそうだが、狭まった視界で集中して一人もしくは数人を見ていると、自分の感情が極端になっていくというか、より研ぎ澄まされていく。

 

 この日、そのように感情が鋭く駆け上がった頂点は、夜公演の『君とどこかへ行きたい』だった。大好きな曲をさらにフルで歌ってくれて、ファインダーを通してたくさんのメンバーを見ていたら、みんな幸せでいてほしいと、祈るような気持ちでいっぱいになってしまった。全員頑張っている。だから全員報われてほしい。とはいえそれが難しいこともわかる。カメコ的に撮りづらいポジションでパフォーマンスしている6期生達を見ながら、頑張っている姿はしっかり伝わってるよと思ったりした。

 

 夜公演は田中美久さんの卒業コンサートだった。実はHKTの卒業コンサートに入るのは今回が初めて。これまでは卒業するメンバーのファンが入ってくれればいいし、極論そのメンバーのファンだけが客でもいいと思いながら、毎回スルーしていたが(代わりに配信は見ていた)、今回は思いきって自分も参加してみた。

 

 私にとっての田中美久さんはチームH田中美久さんなのだが、コンサートではそれよりも昔の、私の知らない頃の田中美久さんがステージにいて、懐かしいというより新鮮だった。チームH以外のイメージとしては、なこみくのペアとしてのイメージが強烈だったので、3期生でありながら3期生とは少し離れている印象があったのだが、3期生でやったバンドでの『GIVE ME FIVE!』を見たら、やはり田中美久さんも3期生なのだなと、ファインダー越しに見える田中美久さんの明るい笑顔に安堵するような気持ちになった。

 

 田中美久さん卒業という節目のコンサートであったにも関わらず、終わりというよりも、新しい希望の芽を見たような一日だった。田中美久さんが6期生に向けて歌った『夢は逃げない』は、6期生だけでなく、他のメンバーや、自分含めて大勢の見ていた人達にも勇気を与えてくれたように思う。アイドルとしての最後に相応しい素晴らしいコンサートだった。

 

 みくりんありがとう、お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

自分が撮った中で個人的にいちばん気に入っているのは豊永阿紀さんも念願だったHKTでの合唱の指揮者井澤美優さんの後ろ姿

 

ピーマン

 近所のスーパーは、今ピーマンが安くなっていて、ついたくさん買ってしまう。ここ1、2年ぐらいでピーマンを好んでよく食べるようになった。鮮やかな緑のピーマンを食べるだけで、なんだか健康に良さそうな気がしてくる。大好きなHKT48チームHのイメージカラーも緑で、豊永阿紀さんの最新の生誕Tシャツも緑なので、ピーマンを食べることは即ち推し活でもある。

 

 ピーマンというと、福岡グルメの代表格でもある天麩羅処ひらおのピーマンの天ぷらが自分にとって衝撃だった。福岡に住み始めて、初めてひらおでピーマンの天ぷらを食べた時、こんなに美味しいピーマンがあるのかと驚いた。ひらおにはピーマンを食べに行っていると言っても過言ではないぐらいだ。もしかしたら自分のピーマン好きもそこから始まったのかもしれない。

 

 ピーマンは種を取るのだけが面倒だけど、焼いてもいいし、煮浸しにしても美味しい。ピーマンがメインの人気メニューといえば肉詰めだと思うが、それはまだ作ったことがない。うちの実家はチャーハンにピーマンを入れていたので、今でも自分でチャーハンを作る時はネギとかではなくピーマンをみじん切りして入れる。味や食感が好きなのはもちろんだが、とにかくピーマンは色がいい。ピーマンの緑は、華がある緑だ。

 

 今日もピーマンを炒めて食べて、それから明日着る豊永阿紀さんの緑の生誕Tシャツにアイロンをかけた。

 

 最近ちょっと出費がかさんでいて、HKTの劇場公演に行けてないのが心苦しい。去年は1ヶ月に10回ぐらい公演を見た月もあったが、今年はせいぜい月1回となってしまっている。嫌いになったわけではないのだが、いろいろな事情が重なって行けてない。劇場に行かない代わりにコンサートは行く。明日は久しぶりのコンサートだ。基本的にチームHの公演ばかり見ているので、チームKⅣのメンバーを見るのは本当に久しぶりで楽しみだ。髪を切った竹本くるみさんの可愛さに早く触れたい。推しだけでなく、大きなステージで輝く全員を目に焼きつけられるよう頑張る(自分で書いておきながらピーマンからHKTに話を繋げるのは無茶だなと思う😂)。

2月の現実逃避

 閏年といっても1年でいちばん短い2月が終わった。短い2月のはずなのに、この1週間はとても長く感じた。理由はわからない。日本海側の冬らしい、太陽の光が薄い天候にメンタルがやられていたのかもしれない。

 

 2月は本を読んでマラソンを走った月だった。マラソンについては前回書いたので、今回は読書の話。最近はあまり本を読めてなかったのだが、久しぶりにしっかりと小説を読んだ。ここ数年の私は日本の小説が読めなくて、小説を読むとしたら、専ら海外の小説ばかりだ。逆にエッセイや日記などは日本の作家さんの作品をよく読んでいる。

 

 2月のあいだ、ずっと読んでいたのはW•G•ゼーバルトの『土星の環 イギリス行脚』という小説だ(小説と思っていたけどもしかしたら小説ではないのかもしれない)。

 

 簡単にまとめると、題にもあるようにイギリス旅行記なのだが、単純な旅行記ではなく、とにかくいろいろ話が飛びまくる小説だ。イギリスだけでなく、アフリカや中国などなど、国だけでなく年代も様々な話が旅の合間に語られる。昔話をするしかない老人の話し方みたいに、思いつくままにいろいろな話が差し込まれる。旅行記は体裁だけで、旅に導かれて語り始める四方山話がメインの小説だ。

 

 主人公が語るそれらの話は、遠い記憶を掘り起こしてきたものがほとんどで、どれも朧な印象を受ける。セピア色の情景が思い浮かぶような、ディテールは細かいのに掴みどころのない文章は、ちょうど今の季節と質感が似通っていて、我ながらベストなタイミングで読んだと自分を褒めたくなる。

 

 私にとって海外文学を読むのは、ある種の現実逃避でもある。国内の小説は逆に、より現実を直視するように自分を向けてしまいがちで、疲れている時にはあまり読めない。現実を忘れさせてくれるのが海外文学となっている(もちろん国内外問わず作品によりけりだけど)。そもそも何故現実逃避するかといえば、逃避するしかないようなやりきれない毎日だからだ。

 

 ゼーバルト土星の環 イギリス行脚』が面白いのは、主人公の語る様々な話も現実逃避的である点だ。主人公はイギリスの旅から目を逸らすように、過去に縋りついて昔話を繰り返す。ということは、それを読む私は、二重の現実逃避をしていることになる。これほど念入りな逃避なのだから、居心地が良いのは当然だ。毎晩寝る前にこれを読むのが幸せな時間だった(といっても布団に入ってからスマホで動画を見たりして読書の余韻を台無しにしてしまうのだけど)。

 

 こうやって薄暗い2月を越してきた。3月は春も近づくことだし、もう少し明るく生活していきたいなと思う。どうしても懐古しがちな自分だけど、過去に向ける視線と同じぐらいの強さで未来も見つめていきたい。

マラソンと声援

 2月、人生3回目のフルマラソンを走ってきた。走ったのは熊本城マラソン。最初に結果を書くと、記録は3時間55分。自己ベストには数分足りなかったが、それでも去年の熊本城マラソンのタイム4時間半を30分以上更新できた。

 

 初めてのフルマラソンは去年の熊本城マラソンだった。HKT48の市村愛里さんがゲストランナーとして参加するとのことで、自分も思いきって初マラソンに挑戦した。寒さと厳しい坂道がきつかったが、初マラソンはなんとか完走できた。その後は、去年秋の福岡マラソンを走って、そして3回目は再び熊本城マラソン。今回は市村愛里さんは出場しない。アイドルオタクとしてではなく、ひとりのマラソンランナーとして私は熊本にやってきた。熊本に着いたとき、なんだかホームに帰ってきた気分だった。サクラマチクマモトの上から熊本の街を見守るくまモンも親しく思えてきた。

 

 同じマラソンはひとつとしてない。毎回違う厳しさが自分を襲ってくる。そしてマラソンはどんなに万全を期していても、最後は必ずきつくなる。どんなマラソンも最後は気持ちの勝負になる。強い気持ちで必死にならないと完走できない。その絶対に完走するという強い気持ちを最後まで保たせてくれたのが、沿道から届いてくる声だった。

 

 完走できて思うのは、決して自分ひとりの力だけで完走できたわけではないことだ。今年は本当に声援が大きかった。声出し応援解禁とのことで、スタートからゴールまで声援が本当に大きく力強かった。私は市村愛里さんの生誕Tシャツ、胸に大きく「村民」と書かれたTシャツを着て走ったが、それを見た沿道の方々から、数えきれないぐらいたくさんの「村民がんばれ!」という声援をいただいた。その声を聞くと、本当に力が湧いてきて、疲れていた身体が少しだけ力強く動くようになった。嘘みたいだけど、本当に声援で足が動き出す。

 

 マラソン個人競技だが、走っているとき、わたしはひとりではない。一緒に走るランナーと助け合うこともあれば、沿道の声援から元気をもらうこともある。皆で力を合わせてゴールを目指すスポーツだ。最終的に自分自身との戦いとなる孤独はあれど、私の周りにはたくさんの助けてくれる人達がいた。今年の熊本城マラソンは、過去最高に声援に背中を押されて完走できたようなものだった。お客さんやスタッフ、ボランティアの方々、そして村民Tを作ってくれた市村愛里さんに感謝しかない。ありがとうございました。

 

 沿道の声援は私を変えた。1年前にマラソンを経験してからというもの、アイドルオタクとしては、これまで以上にしっかりコールするようになった。自分はあまりコールするタイプのオタクではなかったが、声援のありがたみを実感したら、アイドルに対してコールすることがとても大切だと私も思い直した。それからはHKTの劇場公演でもメンバーの名前をしっかりコールするようになった(実際は私の初マラソン以前の劇場はコロナ禍で声出し禁止だったけど)。スポーツの応援とアイドルの応援は正確には違うかもしれないし、これはオタクの傲慢でもあるけど、コールがアイドルを生かしているのではと思うようになった。

 

 とはいっても、私の声はくぐもって通らないので、コールが届いてないかもしれない。届かない声に意味があるのかわからないけれど、自己満足でも声を出していく。とにかくまっすぐ応援する。マラソンを走ることで生きていく姿勢を問いただしていく日々である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月のボストン

 ふと気になって数えてみたら、ちょうど20年前の2月が初めて海外に行った時期だった。初めてであり、今のところ最後の海外となっているのだけど。その時に取ったパスポートの期限はとっくに切れている。

 

 20年前、当時大学生だった自分は今とは比べ物にならないぐらい意識が高かった。意識が高いという表現がその頃にあったかはわからないけれど、もしあったなら意識が高い学生という言葉がぴったりの自分だった。大学に慣れはしたが、このままだらだらと学生生活を続けていてはダメだとの焦燥感から手っ取り早く変化を求めようとした私は語学留学をすることに決めた(さすがにインドにバックパッカーとかは無謀だと思っていた)。

 

 行ったのは2月のボストン。期間は大学の冬休みを使った1ヶ月間。冬のアメリカ東部は寒くて、留学先としても人気がないほうだったので、他の地域や季節と比べて安く行けるというのが選んだ理由だった(逆に夏のボストンは人気だったはず)。あとはアメリカに行くなら西よりも東のほうが自分に合っていそうな気がしたせいもある。イギリスは当時の自分には敷居が高いイメージがあった。

 

 初めての飛行機に乗って着いたボストンは、2月なので当然寒くて、街のいたるところに溶けない雪が固まっていたけれど、幸いにも大雪などには見舞われることもなく、防寒をしっかりしていれば快適に過ごせた。ボストンの街は、地元のニューイングランド・ペイトリオッツスーパーボウルを勝って少し経った後で、デパートでは優勝記念グッズがセールで売られていたり、祭りの後の雰囲気がまだあった。

 

 1ヶ月間ホームステイしながら語学学校に通って、世界中から集まった学生達と一緒に学んだ。20年経っても覚えていることはたくさんあるのに、学校で何をどう学んだかは、まったく記憶から抜け落ちてしまった。何を勉強したかはすっかり忘れているのに、お昼ご飯の時間だけは覚えているのだから不思議なものだ。

 

 英語での生活も、中学生レベルぐらいの英語でもなんとかなるような感覚で、学生の日常生活なら特に困ることもなかった。と思ってしまったのは、いずれ自分は帰国するからという安心感があったからかもしれないもしそのままアメリカで暮らし続けなければいけないとなったら、もう少し真面目に勉強していたかもと、今の自分なら思ってしまう。

 

 とまあ、こんな自分語りを誰が読むのか。おっさんの昔話ほど望まれていないものはないとわかっていながらも書いてしまう厳しさがある。自分語りをしたい欲求と自己嫌悪が共存している。本当は、何回訪れても全部を見て回ることは不可能だったボストン美術館とか、自分の勘違いでうまくいかなかった会話の数々とか、滞在先近くのスタバの店員の優しさとか、いろいろ書きたいことはあるけれど、ここでは割愛。

 

 この短期語学留学(シンプルに留学と書くには期間が短すぎて本気の留学生に申し訳ないためこう書く)のためにデジカメを買って、向こうでいろいろ撮ったのだが、その撮影データがどこにあるのか、今はもうさっぱりわからない。あの時の冬のボストンの風景は、ただ自分の記憶の中にしかない。時間が経つにつれ、どんどん思い出が美化され、記憶の中の風景が往年のアメリカの映画っぽく変化していく。すべてが色褪せた先に何が残るのか。

 

 豊永阿紀さんはニューヨークに行きたいといつだったか言っていたボストン滞在時の数少ない後悔がニューヨークに行かなかったことだ。ボストンからならニューヨークは近いのに、何故か行く気が起きなかった。今はもうアメリカまで行く気力がない。ニューヨークだけでなく、ボストン以降どこにも海を越えて行ってない。もっぱら海外文学で触れるのみだ。また海外に行きたくなるような熱量が自分に生まれるだろうか。

わからない夜

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 セブンイレブンの店内をぐるぐる回って時間だけが過ぎていく豊永阿紀さん。わかりすぎる。豊永さんと似たような時間を私も数えきれないぐらい経験している。豊永さんは他のことに脳内のすべてが占められていての彷徨だけど、私はとにかく疲労困憊からの彷徨だ。仕事で疲れた夜など頭がまったく働かず、スーパーでもコンビニでも何を食べたいのかわからなくなって、ただただ店内をぐるぐる回ってしまう。それでも同じ棚ばかりを見て回るのは怪しいかと思い、買うつもりのないアイス売り場にたまに行ったりする。何か手を取るふりをして何を手に取ればいいのかわかっていない自分がいる。迷いに迷って、結局何かを買って食べるのだけど、空腹は満たされても心はなんだか納得していない。そんな微かな戸惑いも、寝れば忘れてしまう。

 

 夜だけでなく、昼も迷いすぎてわからなくなることがある。天神の地下街でお昼ご飯を食べようとしたけれど、どこも混んでいて、地下街を彷徨っていたら、自分は何を食べたいのかわからなくなってくることがある。最近は、自分がわからなくなってきたら、濵かつに結局吸い込まれてしまう。濵かつによく行くようになったが、福岡に来るまではウエストや天ぷらひらおは知っていても、濵かつを知らなかった。福岡に引っ越してきてまだ日が浅かった頃、豊永さんの配信で濵かつの話が出て、そこで濵かつを初めて知った。

 

 天神地下街の濵かつはカウンター席が広くて、ゆったりした気持ちで食べられるので好きだ。そして注文を終えた後の、ゴマを擦る時間が本当に好きだ。何も考えずに擦る。その時間だけは無心になれる。むしろゴマを擦るために濵かつに行っているような気さえする。ゴマを擦って心をリセットして、ついでに美味しいカツでお腹も満腹にして、わからないことばかりの日々をまたがんばる。

 

 前回と文体を変えてみたけれど、これが続くかはわからない。