人の繋がりを思い出させる鍵となった『不本意アンロック』

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 人はひとりでは生きていけないとはよく言われることだけれど、つい忘れがちなことの筆頭でもある。出前館で美味しいご飯が食べられるのは、運ぶ人だけでなく、どこかでそれを調理した人がいるからだ。コロナ禍で人と人の距離が離れざるを得ない現在の状況は、その忘れそうなことに今一度気付かさせてくれる時間なのかもしれない。

 

 脆く見失いそうな関係に光を当て、星と星を繋げて星座を描くように、ネット空間に浮かび上がらせた物語、それが劇団ごりらぐみの『不本意アンロック』だ。

 

 それぞれが心許ない、もしくは既に切れた関係でしかなかった5人が、最後にはひとつのzoomを共有する。ひとりの心の変化が世界を救う。そのキーパーソンは佳だが、佳に気付かせ、自覚させるのはエニシであり周りの4人だ。

 

 誰もが誰かのキーパーソンだ。そのことを観る者に気付かせてくれる。孤独ではないと知り、誰もが星座の一部となる。それは優しい世界だ。

 

 偶然だけれど、舞台の公演期間中に観た映画『すばらしき世界』とも通じるものが感じられて、映画の後はそれまでより解像度が高く観られた。

 

 どちらもコミュニケーションのぶつかり合いを経て、行き違いを乗り越えていく。やり直しが効くことは人を諦めさせない。そして繋がりが、このやるせない世界の崖っ淵から救ってくれる。『すばらしき世界』において人々の善意の網が主人公を社会からこぼれ落ちることを防いだように、こちらではエニシが引き寄せた人々が言葉を尽くし合い、佳が変わり、鍵を開ける。どちらも繋がりが人を救う。私も佳に救われる。

 

 人は見たいものしか見えないし、聞きたい言葉しか聞こえないので、この感想だって作品が伝えたかったものと私が受け取ったものはすれ違っている。わかりあえなくて当たり前という認識に身を委ねている自分には、この作品は希望に溢れていて、とても眩しく目に映る。でもそんな醒めた自分にも力強さが響いてくる。

 

 『不本意アンロック』は誤解によって離ればなれになってしまった人達のやり直しの物語だ。脚本の豊永阿紀さんは、彼女の本職であるアイドルにおいて、作品内の強制シャットアウトのようにファン次第で一方的にコミュニケーションを切られることもあると、自身の立場から言及している。その無力な私達にチャンスを欲しいという思いもあるのかもしれない。あらゆる数字の語呂合わせから選ばれた「以後よろしく」には、末長い関係を続けたい希望が感じられる(関わる全員が全員いい人であればね)。

 

 最後にエニシは「次はあなたが開ける番」と言って鍵をこちらに渡す。私が誰かのキーパーソンになる。これからどういう未来に進んでいくのか。背中を押す手を感じながら、私はスマホから顔を上げる。素晴らしい作品をありがとうございました。

 

 

 

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#劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』感想その2

 気が向いた時に『不本意アンロック』の感想を書き溜めていて、ある程度まとまったので記事にしました。今回はネタバレなしです。

 

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 前回の『不本意アンロック』感想ブログで伏線回収礼讃に最近は疑問を抱いていると書いたけれど、よくよく考えてみたらあんたの好きな映画はバリバリの伏線回収系映画じゃん!! ということに思い至り、すごく恥ずかしくなってきた。しかしまあそれらの映画が好きなのは伏線回収がすごいからではないのだと言い訳したとしてもやはり居心地が悪い。ちなみにその好きな伏線回収系映画は『インターステラー』と『裏切りのサーカス』です。『裏切りのサーカス』は1回目は絶対わからないし、2回目観たとしても話の筋がわからない難解な映画だ。

 

 『不本意アンロック』も伏線回収の妙があり、何回観ても楽しめる作品だ。しかし何回観ても楽しめるから何回も観られるかというと、やはりそれは人それぞれ好みがあり、偶然私の好みと合っていたから何回でも観られるにすぎない。

 

 ではその繰り返し観ることが出来る理由は何なのか? それはもう作品全体の雰囲気だと思う。『不本意アンロック』全体を貫く、部屋の中でも曇り空のような雰囲気。それはぬるま湯のような優しさが感じられる。逡巡する場としての佳の部屋は、私にも親近感があり居心地が良いだけに、そこで佳に掛けられる言葉がグサグサと私に刺さる。

 

 これらのトータルの世界観がプロデューサーの意向なのか、演出の下野さんによるものなのかはわからないけれど、私は好きだ。その作り上げられた世界は私を受け入れてくれる。だからこそ何回も観られる。

 

 役者の演技もとても自然体で、私も無理なく話の中に入っていける。特に堺萌香さんは、所謂演劇的すぎない演技によって等身大の人物として感じられて、私はそんな佳が好きだ。前回ブログでも書いたけど、この作品が好きなのはやはりおいもちゃんのおかげです。

 

 演劇は役者が良いだけでも、脚本が良いだけでも駄目で、全てが良くないといけない。『不本意アンロック』はそのバランスが素晴らしくて、相互に補い合うながら作品を作り上げているように感じる。だけどこれは私がHKT48を好きだからこその、メンバー同士の関係性に重きを置いたバイアスのかかった見方かもしれない。

 

 『不本意アンロック』は何回観ても新しい発見がある。単に私が見逃しているものが多いだけだが、そうやって観る度にどんどん好きになってくる。そしてそれは何かが突出してすごいのではなく、ごりらぐみの劇団としての総合力が最強だからだと思わざるを得ない。こういうHKT最高的な思考になってしまうのは、だんだんと福岡の土地に馴染んできたからかもしれない。残すは週末の4公演だけだけど、公演期間中も成長していく劇団が最後どうなるのか期待しています。

 

 

RAYと出会って1年

 RAYと出会って1年が経った。出雲にっきさんの19歳生誕祭そしてavandoned解散ライブで初めてRAYを見てから1年が経った(出雲にっきさん20歳おめでとうございます)。

 

 avandonedと入れ替わるように私の前にRAYが現れた。陽が落ちれば月が輝くように、それはあまりにも自然で、タイミングが良すぎた。

 

 ライブを見て、一目惚れみたいに一瞬で好きになった。後で調べたら、私が好きでよく聴いていたFor Tracy Hydeの人が曲を提供していた。なるほどと合点がいった。どの曲も完璧だった。

 

 私はRAYを好きだけど、常に躊躇いがある。それは出会いのタイミングの偶然、avandonedの代わりとしてRAYが現れたと私自身すら思えてしまうことへの申し訳なさがあるからだ。RAYavandonedの代替グループではないと思っていても、出会いの絶妙すぎるタイミングが私を戸惑わせる。

 

 このような感じで、好きと申し訳なさが混ざりあった複雑な気持ちで、1年前も今もRAYを見ている。去年の秋に私は東京を離れてしまったので、最後に生で見たRAYは夏の渋谷WWWでのライブだった。その後も配信でライブを見たりしたが、RAYの轟音に身を委ねる体験は久しくしていない。

 

 去年いちばん聴いたアイドルはRAYの『Pink』だった。今もこれを聴くと、東京の静かな住宅街をよく歩いた夏を思い出す。コロナ禍の街の静けさと洪水のような音の対比が好きで、よく好んで聴きながら歩いた。

 

 東京を離れて、その東京の夏と共に思い出すのはひとつの言葉だ。20208月のワンマン配信ライブ『birth』において、『no title』のイントロで内山結愛さんはこう言った。

 

RAYの音楽はあなたに寄り添います!」

 

 RAYはライブも多いし、シューゲイザーという音楽的にもライブハウスで聴くことを前提にしているはずだ。そのような現場主義のRAYでも、あの頃は満足にお客を入れてライブをするのが難しかった状況。それは生でステージを見られないファンへの、精一杯の言葉だったのかもしれない。

 

 私はその言葉に救われた。福岡に移ってからはさらに救われた。ライブに行かないことへの申し訳なさが、この言葉によって和らいだ(熱量が足りないだけと言われればそれまでですが)。

 

 自分自身アイドルはライブで見てなんぼという現場主義なので、これまではライブに行かないイコール興味がない、ぐらいの気持ちだったが、今は配信でライブを見て音源を聴くだけでも好きと言えると思えてきた。今になってトマパイのキャッチコピーである、「会えないときも、そばにいる。」をしみじみ実感している。

 

 これは私の思い込みだけど、RAYの音楽は遠くまで届いてくる。音が遠くまで手を伸ばそうとしているように聴こえる。世界から誰もいなくなった彼方にもRAYは響く。悲しみや寂しさをかき消すように重ねられるギターに身を委ねるのが心地良い。

 

 

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 そしてRAYと出会って1年後、『白川さやか卒業公演 -ひかり-』を配信で見た。演出、照明、カメラワーク、どれをとっても最高で、それらのサポートを受けて4人が最高に輝いていた。それはライブハウスの生の体験とは違うけれど、今の最高のRAYがいた。素晴らしい別れのライブだった。

 

 4人の躍動感が画面のこちらまで届いてきた。RAYはどの曲も大好きだけど、その中でも特に大好きな『スライド』を2回続けて聴けて胸がいっぱいになった。そして『ダイヤモンドリリー』、さーやさん最高に可愛くてキラキラしてましたね!!

 

 

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 私は新参もいいところで月日さん以外とは話したこともないのだけど、それでも4人全員が好きだ。この4人だからこそのRAYだったのだなと改めて思う。話したことはないけれど、甲斐莉乃さんはお酒を飲めない私の分まで毎日飲酒してくれているのだなと思いながら、彼女のインスタストーリーを楽しく見ている。

 

 本当に素晴らしい卒業公演だった。4人がかっこよすぎた。最高のRAYをありがとうございました。さーやさんの未来が輝きで溢れていますように。

 

 

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#劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』初日感想

 

ひとりで生きていると思ってた
ひとりで生きていく、と思ってた--

トラブルに巻き込まれ、仕事を辞めた主人公、佳(けい)。
人と関わることに疲れ、
在宅のバイトをしながら動画サイトを
ぼんやり眺める日々を送っていた。

そんなある日、突如現れた謎の人物
“エニシ”は佳に告げる。

「今からあなたには、未来を変えるキーパーソンに
なっていただきます!」

エニシに翻弄され、巻き込まれていく佳。
他人と、自分の人生と。

諦めたものたちに、
もう一度向き合う鍵となるのは

HKT48
ごりらぐみ 第一回公演 『不本意アンロック』

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 ここではがっつりネタバレしています。

 

 HKT48の #劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』初日昼公演と夜公演を観ました(『水色アルタイル』は後日観ます)。素晴らしかった。旗揚げ公演としてはこれ以上ないスタートだったのではないかと思う。

 

 始まるまでは不安と緊張で仕方なかった。大好きな豊永阿紀さんが脚本を書くといっても、私と豊永さんの好みはまた違うわけで、豊永さんの脚本が私の口に合うのか不安だった。むしろ演出の下野由貴さんのほうが同じ宝塚好きとしての安心感があった。こういう開演前の緊張感は久しぶりで懐かしくなった。

 

 観ていてまず思ったのが、HKT48を全く意識しなかったことだ。アイドルの舞台を観ているという感覚がなかった。アイドルオタク向けのしょうもないギャグもなかった(アイドル舞台はそういう要らぬサービスをしがちなんですよ)(もしくは古参にしかわからないハイコンテクストなネタばかりだったのかもしれない)。またメンバーは事あるごとに以前出演したコント劇に言及していて、コント劇っぽくならないようにと苦心していたらしいけれど、自分はコント劇を知らないので普通に新鮮に観られた。

 

 私がHKT48を全然知らないだけかもしれないが、ここは〇〇ちゃんぽいよねといった気持ちになることが少なかった(エニシの過去の一言だけでしょうか)。アイドルが出ている舞台は、演劇なのにその役を通して素のアイドルの部分を透かして見てしまいがちで、観劇に対する姿勢が難しい。しかも製作側がそれをわかった上で需要を満たすために当て書きで役を作ったりするから、複雑な共犯関係になってくる。この作品はそのようなアイドル舞台っぽさがなかった(はなちゃんは微妙だけどそこがいい)。普通に下北沢辺りで舞台していそうな雰囲気があり、特に秋吉優花さんの小劇団に一人はいる個性派女優っぽい役作りがやばかった。

 

 何がよかったのかなと思い返してみると、やはり私は堺萌香さんの佳が素晴らしかったからではないかと思う。カーテンを下ろして出前館を頼み、およそ太陽が好きそうではない佳の暮らし。単純に私だけの印象かもしれないけれど一人だけ顔色もよくない。佳は主人公ということもありディテールが細かい。そしてこれは脚本に依るものだろうけれど、佳がこの場だけの人物ではなく、これまでの人生があって今ここに佳がいることに実感があった。そんな人物においもちゃんがぴったりとフィットしていた。人に頼るのが苦手で躊躇うことの多い佳は私にも重なる部分が多く、だからこそ佳を親身になって観られたのかもしれない。佳が自分に近しいと思えたことがこの作品を好きになれたいちばんの理由だろう(あと佳のお母さんの声がずるい)。

 

 予告を見た段階では、はなちゃんのはなちゃんにしか見えない演技に、私はにやけた笑顔になるのを耐えられるか心配だったけれど、いざ始まったら画面の中にいたのはエニシで、はなちゃんでもドラえもんでもなくてエニシだった。

 

 最後は親に本当のことを打ち明け、部屋の外へと出ていった佳の心をアンロックしたのはあのzoomの画面を共有した人との縁だったが、その縁が確かな縁となるべく人の形となって手を差し伸べたのがエニシだったのだろう。そのエニシが笑顔の眩しいはなちゃんというのが象徴的で、最終的にやっぱりはなちゃんだからこそのエニシだったのではという感想になってしまって、これではアイドルオタク的な観劇ですね…。あとどうしてもアンロックというと『しゅごキャラ!』を思い出してしまいます…。黄身Tubeとか生卵とかはやっぱり『しゅごキャラ!』なんでしょうか…(これを観た後にBuono!の動画を見て再び胸いっぱいになった…)。

 

 印象に残っているのはニュートンのリンゴの話で、これは全編を通したテーマでもあるのだけど、去年の年末辺りの豊永さんは、誰かのどうでもいいさりげない言葉に救われたと何度か言っていて、確かにと、そのとき深く頷いて記憶に残っていたのでハッとしてしまった。本当に、勝手に救われるしかないんですよ。

 

 

 

 ツイッターの感想をチラ見した感じでは伏線回収がすごいというのが結構あって、ばらばらのピースがぴたりとハマっていく流れは自分も観ていて快感だった。確かに伏線回収は気持ちいい。しかし最近の私としては、伏線回収すれば素晴らしいという評価に懐疑心を持っているので複雑でもある。でもエンタメとしては大正解だと思うので全く問題ないです(どこから目線?)。脚本すごいわ。豊永さんすごいです。キーワードで思わせぶりな雰囲気を漂わせるのは豊永さんらしいなと思うし、その種明かしを単純だと自らツッコミを忘れないのも豊永さんらしい(と思えるほど私は知っているのかという疑いはある)。

 

 これが演劇なのかと言われると私はわからない。全然場所が違うシーンが入ったり演劇というより映像作品の趣がある。カメラの向こうで生で演じているとわかっていても、それは客側が信じるしかない(疑り深くてすみません)。自分にとって演劇は、窮屈でお尻が痛くなる席に拘束されながら観て、素直に感動するものもあれば、よくわからないけど目の前の演技の迫力だけで感動するものもあり、それらを全てひっくるめた体験が演劇だと思っていて、オンライン演劇はそのような体験とは別物に思える。これはこれで素晴らしいけど、やはり生の舞台で観たい気持ちが強い。

 

 想像していた以上にあっという間の時間だった。昼より夜のほうが解像度高く観られて、昼はコメント欄なし、夜はコメント欄ありで観たけれど、どちらでも面白かった。こういう例え方は喜ばれないかもだけど、藤子SFと細田守を混ぜたインクをインターネットどっぷりの豊永さんのペンに乗せて書いたような作品だった。

 

 私は素晴らしいものに触れた後の帰り道が大好きで、そのようなときは余韻を胸の内で何度も反芻しながらいつもよりもゆっくり歩いて帰るのだけど、家で観ていると帰り道がそもそもない。なので居ても立ってもいられず、昼公演を観た後に家を出て公園を散歩した。夕日にきらめく大濠公園は人で賑わっていて、ここにいる人達もいろいろな繋がりを経て今があるのだろうなと、まるで今新発見したかのように気付いて、自分にも見えない縁があったりするのかなと考えた。素晴らしい作品をありがとうございました。無事に千穐楽を迎えられることを祈ってます。

 

 

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『不可逆の青』で分かれ撚り合う豊永阿紀さん

 豊永阿紀さんの短編脚本『不可逆の青』を読みました。#劇はじ の脚本担当が決まってから課題として書いたらしい。大学を目指す高校3年生の青春の一瞬を描いた短編だ。

 

 

 

 最初は読めなかった。豊永さんの胸の内を覗いているようで恥ずかしかった。表面をなでるように、心がざわつかないように読んだ。それから時を置いて読んだ。大袈裟かもしれないけれど覚悟を持って。

 

 完全に勘違いしていたことだけれど、初回に斜め読みしていた私は登場人物のひとりである望を男性だと思い込んでいた。恋愛関係にある男女とそれを見守る親友の話だと読み違えていた。丁寧に読み返して、こちらが恥ずかしくなるほど単純な間違いに気付いた。豊永さんごめんなさい。

 

 いつかの配信で豊永さんが言っていた通り、登場人物3人は彼女の3つの分身かもしれない。3つに分かれた人格が撚り合わさってひとつの物語になっている。再構成された豊永さんが新しい物語を見せてくれている。アイドルの作ったものに対して、ファンはどうしてもその中にアイドルを見出してしまう。

 

 自分達の関係性に満ち足りていて一歩引いている豊永さんに、親友を信頼しきっている豊永さん、手探りでも未来に手を伸ばそうとする豊永さん。3人の過去に豊永さんの影が映り、3人の未来に豊永さんのあり得るともあり得ないともいえる未来が映し出される。彼女達が織りなす夏のつむじ風は、いつかの豊永さんの迷いのようでもあり、しかしそれは思い過ごしかもしれない。

 

 その薄く透けて見える豊永さんは夏の陽炎のように朧げだ。冬に思い出す夏がいちばん美しいとはよく言ったものだけれど、私は見えた。遠い夏の豊永さんが見えた。パピコにパルムに揺れるブランコ、蝉の声。

 

 とここまで書いたところで、登場人物が5人に増えたオンライン演劇バージョンの『不可逆の青』と豊永さんのブログがアップされた。

 

 

 

 

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 動画を観て、自分は文章のほうが好きだと気付いた。オンライン演劇になって、好きな要素のひとつであった夏の季節感が消えていた。扇風機が見えたけど、これで夏ということなのだろうか。オンライン演劇は基本部屋でWebカメラを前にして演じられるものだから、季節の感覚が希薄になることに改めて気付いた。

 

 劇そのものに入り込むより前に、いくつもの顔が並ぶ画面は今までの演劇体験とは違っていて、果たして自分は #劇はじ を興味を持って観れるのかと不安になってきた。オンライン演劇は演劇を期待して観るよりも、限りなく演劇に近い朗読劇なのかもしれない。

 

 それでも実際に演じられると、文字だけの世界にはない立体的な感触があった。豊永さんのタイピングの一打一打で削られ丸められ整えられた台詞が演者によって生が宿ると、また新しい輪郭が生まれる。観ている画面は平面であるのに、文章だけで作品に触れていた身からすると、それでも立体感、人が演じることの手触りがあった。水帆が秋吉優花さんというのはHKT新参の私にもしっくりきた。3人バージョンだと何か言いたくても言えない言葉が行間に隠れているのではないだろうかと考え過ぎてしまったけど、5人バージョンを観るとその過不足がないように感じられて、これが演技の力なのだろう。

 

 という感じで、初めてオンライン演劇を短編ながら観たのだけど、不安もありつつもやっぱり #劇はじ は楽しみな期待が大きい。『不本意アンロック』も『不可逆の青』と表裏をなすように、いくつもの豊永さんが物語を紡ぎ出すのだろうか。まずは初日を待ちます。

『花束みたいな恋をした』とカルチャーに浮かれる己の未熟さについて

 ネタバレしています。

 

 『花束みたいな恋をした』を観ました。なるべく他の人の感想を知る前に観たかったので、公開3日目に観ました。何故そこまで前のめり気味で観に行ったかというと、劇中で私の大好きな舞台『わたしの星』が出てくることを事前に知っていたからだ。私は菅田将暉さんでも有村架純さんでもなく、『わたしの星』のために観に行った。恋愛映画ということもあり、カップルで観に来た人も多くいた映画館で、ひとりドキドキしながら観た。『わたしの星』は主人公2人の心が離れつつある大事な場面で使われていた。私の部屋がそうであったように、彼らの部屋に『わたしの星』のポスターが貼られていた。確信に近い気持ちで、私は絹さんと三鷹ですれ違っていた。青い服の女性を見かけた記憶がある。2017年の夏を思い出した。

 

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 『花束みたいな恋をした』は若い男女の出会いから別れまでを描いた、ストレートなラブストーリーだ。学生気分だった2人が次第に大人になっていき、お互いがすれ違い、決定的に戻れない地点まで行き着いてしまう。その彼らの5年間を様々なカルチャーが彩っている(出てくる漫画や小説や映画その他諸々をカルチャーという言葉でしかまとめられないのは気持ち悪いけれど)。POPEYEのガールフレンド特集に出てくるカップルのPOPEYE的な生から死までを映画化したような作品だ。

 

 しかし肝心のラブストーリーに辿りつく前に私は胃もたれしてしまった。ラブストーリーを自分の中で消化する前に、彼らの人生にずっと寄り添い続けたカルチャーが天ぷらの衣のようにラブストーリーを包んでいて、そのこってりくどすぎるぐらいに羅列されたカルチャーに私はあてられてしまった。

 

 共感性羞恥心といっていいのか、彼らとカルチャーの関係性が細かく語られる度に、こちらも恥ずかしくなってしまう。彼らの本棚は、まさしく自分の本棚だった。今村夏子に小川洋子多和田葉子。たとえ映画の中だとしても、こんなに自分と趣味の合う人がいるのかと驚いたほどだ。そして恥ずかしさと共に湧き上がる嫌悪感。主人公2人のいけ好かなさ、自らのセンスを疑っていない感じは、まさしく私も同類であり同族嫌悪しかなかった。

 

 おそらく、もう一度観たとしても、私はラブストーリーに辿りつかないだろう。私にとって恋愛が別世界の話ということもあるが、好きなことに熱中して大人になれていない、いつまでも劇中中盤の絹のような自分なので、自らの未熟さを突きつけられて思考停止してしまうだからだ。麦が目指したようなまっとうな大人になることが今は全てではないとわかっていても、大人になれない自分はそこに常に劣等感を抱いてしまう。センスが良いと当人達が思っている部屋が、至る所にキャラクターのシールが貼られた部屋に変わっていくことについて、自分自身に関しては全く想像できない。何度観たとしても、明るくなった映画館で私は呻いてしまうに違いない。

 

 私はこの映画をうまく受けとめることが出来ない。いい映画だと思うし、好きか嫌いかと言われたら好きだけれど(好きですよ)、怒りや悲しみや諦め、沢山の感情が渦巻いて、どうにも心がざわついて仕方ない。

豊永阿紀さんの部屋と繋がる私の部屋

 それは同じ部屋で生活しているような、お互いを認め合っている空気が私の部屋にも染み込んできた。

 

 HKT48の皆さんは忙しい。それは #劇はじ が差し迫っているからだ。他にも私達にはまだ知らない仕事をしているようでもある。#劇はじ の脚本を担当する豊永阿紀さんも忙しさは例外ではない。公演はなくてもなんだかんだ忙しそうだ。

 

 そんな豊永さんも夜にshowroomを配信している。他にも多くのHKT48メンバーが配信していて、2月のHKT48showroomを頑張る月間らしい。昨日の豊永さんはかなり忙しいのか、仕事の作業配信となった。黙々とPCに向かってキーボードを叩く豊永さんを映すだけの画面。コメントも時折チェックするのみで、彼女は彼女で仕事に集中しているのだなと思い、私も配信を流しながら本を読み始めた。

 

 それは静かな夜だった。聞こえてくるのはカタカタとリズミカルな打鍵音とたまに漏れる豊永さんの独り言のみ。その音を聞きながら読書していたら、いつの間にか私と豊永さんが同じ部屋にいるような感覚になってきた。

 

 豊永さんの部屋の音が私の部屋に染み込む夜。不思議なことに、それぞれがそれぞれのやりたいことをやっていて、向き合っていないからこその親密さがあった。思い返すと、視聴者は豊永さんにshowroomらしい配信を求めずに見守る雰囲気があった。そしてそれを信頼している豊永さんもいた。新参の私は、長く活動を続けてきたアイドルとファンの関係性をそこに垣間見た。そのお互いを認め合っている空気が私にも伝わって、同じ部屋にいるような錯覚を受けたのだろう。

 

 しかしこれは、私が豊永さんを好きだから感じる特別な感覚なのだと思う。誰でも同じようにはいかない。

 

 特段何もない、それぞれの生活が偶然showroomで繋がったような時間は私をとてもリラックスさせてくれた。2月はたくさん配信してくれるそうだから、また同じような雰囲気が訪れたらいいなと期待しながら、今日も夜を過ごす。