マッチングアプリつらい

 アラフォー、思い立って秋頃からマッチングアプリを始めてみた。結論から書くと、つらい。メンタルやられっぱなし。そもそもうまくいっていればブログなんて書かない。幸せな生活を送ってインターネットから消えています。時折見かける、表立っては言ってないけど実は付きあってました、なんて全然無理。つらすぎて書かないとやってらんないから書くわけです。

 

 コミュ障なので、始める前からマッチングアプリに向いていないとわかっていたけど、万が一向いている可能性もあるわけで、しかしその万が一の自信はどこにあるのかというとどこにもない。

 

 つらさの理由はいろいろあるが、マッチングするまでのプロセスがとにかくつらい。マッチングしてしまえば、その後は2人の問題となるので、物別れに終わったとしても納得出来る。しかしそのマッチングするまでにアプリにボコボコにされる。つらい。

 

 まずいいねが全然押せない。いいねを押さないと何も始まらないのだがいいねが押せない。いいねを押すのもエネルギーが要る。自分は電話をかけるのが苦手なのだが、いいねする時は電話並に勇気が必要となる。他人の人生に干渉する資格が自分にあるのかと自問してしまい、いつも躊躇してしまう。そして高望みしすぎなのもわかってる。アプリの画面をパッと見て、何かしらのアクションを起こすための判断材料が主に写真と年齢というのがつらい。結局顔と歳か、となってしまうアプリの構造に嫌気が差し、それでもそこを基準に踊らさせている自分がいる。

 

 難しいのは、プロフィールをちゃんと読めば読むほどいいねが押せなくなることだ。しっかりと詳細に書かれたプロフィールほど、読むと合わないなと感じてしまい、いいねが押せなくなる。本人のさりげないこだわりみたいなのも、ちゃんと言葉になると強く聞こえる。逆にふんわりぼんやりした雰囲気のプロフィールのほうがもしかしたらという期待があっていいねが押せる。難しい。

 

 しかもプロフィールを読んだところで実際はわからないのではという不安もある。プロフィールはあくまで自身が伝えたいことを伝える場で、それでいて自身の望むものを100%表現出来ているとは限らない。そんな不安があるのは、自分のプロフィールも自身を上手く表現出来てないと感じているからだろう。難しい。

 

 こちらがこう考えているということは、私を選ぶ側も同じようなことを考えているのだろうと思うと、なんかもう全部がつらくなってくる。考え過ぎなのかなとも思うけど、考えていかないと自分はやらかしてしまうので考えることは必要だ。アプリにボコボコと書いたが、神経質な自分自身の問題かもしれない。どちらにしろつらい。

 

 個人的なつらい理由として年齢的な問題もある。やはり相手は同年代がいい(結局自分も年齢で選んでいるのですが…)。となると自分はアラフォーで、相手もアラフォーだとどうしても結婚への考え方が重要になってくる。自分はまだ結婚のイメージがまったくない。良い人がいれば結婚したいぐらいの気持ちで生きている。しかし相手が年齢などを理由に結婚を意識するのは非常によくわかる。なので女性のプロフィールを読んで、今すぐ結婚したい、子供欲しい、と書かれていると、おぅ…、とそれだけで及び腰になってしまう。アラフォーが何がなんでも結婚したいなら結婚相談所に行けばいいのにと思う。自分だって、相手がいない状態で結婚に意欲が出てきたら結婚相談所に行くと思う。マッチングアプリで婚活はギャンブルではないでしょうか。とはいっても結婚相談所でビジネス感覚で結婚するよりも、少しは恋愛みたいなのをしたい気持ちもよくわかる。そのあたりのトレードオフをどうするかですよね。そんな感じで、私はとりあえず相手のプロフィールの結婚への意欲と子供の欄を読んで、勝手につらくなっている。考え過ぎなのはわかっている。

 

 自分の結婚への意欲のなさは、(少なくとも現在は)経済的にも精神的にもひとりで生きていける余裕があるからで、それはとても幸運なことだ。あと結婚に乗り気でないのは、(現状では)相手に対して申し訳なさが先に立つからだ。自分自身がまっとうでない自覚があり、その薄っぺらさを隠すためには結婚がいいのではないか、結婚すれば一応は普通の人と言えるのではないか、という目論見がある(普通が何なのかはまた議論が必要ですが)。しかしそのような理由で結婚するのは、パートナーに失礼だということもわかっているから結婚に消極的だ。結婚すること自体が目的となった結婚ではなく、人生の進む方向に自然と結婚があるほうがいい。つまり結婚に至るプロセスが重要なのだが、そのイメージが今の自分には想像出来ない。もっとくだけた感じで表現すると、恋愛がわからない、と言ってもいいのかもしれない。さらに突き詰めると他人への興味の無さが問題となってくる。結局ひとりが気楽なのか。いろいろ考えていくと、あらためて自分は他人と深い関係を結ぶ気がなく、かなり軽薄なのではないかと思えてきて、自分に幻滅する。利用するマッチングアプリを間違えたのかもしれない。

 

 やはり自分にはつらいなとアプリと距離を取ると、如実にメンタルが穏やかになるのが自分でも笑ってしまう。そこまでつらい思いをしてまでマッチングアプリを使わなくてもいいじゃない、と思うけれど、そうでもしないと出会いはないんですよね。しかし切実に出会いを欲しているかというとよくわからない。それでも数年前だったらこのような苦手なことに挑戦しなかっただろうし、今は上手くいかなくても、挑戦しているだけでも自分に余裕があるんだなと思いたい。

 

 どういう人と出会いたいかとよくよく考えてみたら、ひとりでも楽しそうに生きている人、という人物像が思い浮かんできて、いやそんな人は既に幸せなんだからマッチングアプリにはいないと結論が出てしまった。はい終わり。悲しい。(人間関係で満たされている人でもマッチングアプリを使う時があるのか気にはなる)。

 

 パートナーがいること、結婚すること、家庭を持つことが全てではない。わかりますよ。今はいろんな生き方があるし、それが許容される社会になりつつあることを。しかしそれと個人的な問題はまた別で、そのような様々な生き方があることをわかっていても、私自身がまともと思えるためには多様性はあまり意味を為さないんですよね。自分が古い人間だからこその呪いなのか。

 

 いつもはエンタメの感想ばかりブログに書いていて、こんな感じで自分自身をインターネットで切り売りしていきたくないとずっと思っていたけれど、こればかりはブログに書かないとどうにもダメージが大きすぎる。これを誰かに読まれて、嘲笑されるぐらいしか救いがない(笑えるのか?)。結局マッチングアプリがつらいというより、マッチングアプリによって自身の問題が炙り出されて、それに心が抉られているだけなのかもしれない。

 

 もう少しマッチングアプリを続けてみようとは思う。つらくなると、豊永阿紀さんの「自信のなさがチャンスをつぶすことがないように」を思い出して奮起する。こういう時の言葉ではないような気がして豊永さんには申し訳ないけど、そこに縋るしかない。しかしまあつらいですね(1年分ぐらいのつらいを書いたのでここから1年つらいは封印します)