12月。書いても書いても書きたいものが溜まっていく。書きたいものが文字として産み落とされる速度よりも書きたいものが積まれていく速度のほうが圧倒的に速い。テトリスでいうと天井に届くまであと一段ぐらいのぎりぎりの状況でなんとか凌いでいる感じ。
ライターでもないし、好きで書いているだけなのに、気持ちは締切に追われるライターと同じ感じかもしれない。次のあのライブまでにこのブログを書き終わらないと、また溜まってしまう。そんな焦燥感と共に生きている。
そこまでして何故書きたいのかというと、やはり忘れてしまうからだと思う。いや、書いている時でも既に忘れかけている。何かのイベントの感想を書く時も、その当日の気持ちそのものではなく、当日の気持ちを思い出そうと努めて出てくる記憶の断片でしかない。それでも書かないよりはいいと思い、書き留める。忘れてもいいように書き留める。写真も同じ。
なんとか書いたとしても、自分の文章に全然納得がいかない。書いている時は、これはいい感じなのではと思っていても、いざ公開すると、本当につまらない文章に見えてくる。圧倒的に軽く浅い。そうやって書いて公開して後悔までがいつもワンセット。もっと面白く書きたいと、書き方の本を読んで学んだりもするけれど、そう簡単には面白くならない。
追い討ちをかけるように、最近読んだ『邦キチ!映子さん』の花束回に出てきた映画感想ブログを書いている池ちゃんというサブカル野郎にかなりやられてしまった。そもそも私は『花束みたいな恋をした』で重傷を負っていて、その『花束〜』を取り上げた邦キチでさらに傷が深くなってしまった。池ちゃんが自覚している自分の書くブログがつまらないという悩みは、そのまま私にも当てはまる。自分は池ちゃんの劣化版…。だけど、つまらなくても書くしかないんですよね…。そんな辛さを抱えた12月。
私にとどめを刺したツイート。
邦キチの池ちゃん、「自分がつまらないことを自覚しているが、つまらないということから目を背けてつまらない文章を書き続けることでしかアイデンティティを維持できない」というキャラクター造形だったのであまりにも共感してしまいクロールで追いかけるナランチャになった
— 超ボルボックス (@vol__vol) 2021年11月5日