HKT48 リクエストアワー セットリストベスト50 2021

 先月の話になりますが、初めてのHKT48単独によるリクアワを見ました。50位から1位、昼公演夜公演合わせて50+数曲。楽しい1日でした。リクアワに関して、もともとAKB(というか48グループ)のリクアワはほとんど興味がなく、情報として1位の曲が何なのか知っているぐらいの認識でした。今回投票も含めてHKTのリクアワに参加してみて、想像していた以上に皆さん人に対して投票していることを実感しました。自分が好きな曲というより、自分が好きなメンバーが好きな曲に投票するわけです(両者の好みが同じならこれ以上幸福なことはない)。アイドルは何よりも人がコンテンツなのでそれは当然なのですが(しかしコンテンツと書くと醜悪ですね)、リクアワは総選挙ではないけれど楽曲を利用したメンバー同士の代理戦争っぽくて面白いです(面白い?)。やはりこういうイベントは若いメンバーの団結力がすごいですね。5期生強かった。私は4期生の『さくらんぼを結べるか?』に投票しましたが(他にも投票した曲はあります)、惜しくも2位と力及ばず。2位でしたがおいもちゃんの涙はとても綺麗で、泣かせるために投票したわけではないけれど、投票してよかった、そう思いました。それでも4期生は我の強い人が多いイメージなので、ステージの上では晴れやかな表情でしたがやっぱり悔しいですよね。

 

 メンバーの人気投票的な側面があるとはいっても上位に来るのは曲としてもいい曲ばかりです。私も好きな曲が何曲もランクインして、それを生で見れたのがうれしかった。リクアワでやっと生で聴けた曲がたくさんあって大満足です。やっとやっと、『夏の前』や『僕だけの白日夢』が聴けたことがうれしかった。2曲とも大好きなんですよ。

 

 リクアワを見て、センター曲を持っていることが如何にアイドルとしての自信に繋がるかがとてもよくわかりました。持っていないメンバーが事ある毎に自分の代表曲が欲しいと願っていることの理由がこのリクアワで感じ取れた。神志那結衣さんの『Buddy』などそうですが、私にはこれがあると信じることができる強さが人を輝かせるのだと思います。しかし誰もが恵まれているわけではないので、配られたカードでなんとか頑張るしかない人も当然いて、そんな限られたチャンスでどうにか自分を届けようとする人に私は惹かれてしまいます。今回でいうと竹本くるみさんや栗山梨奈さん、上島楓さんなどが先輩の隣でよく目を引いていて、何度もそのパフォーマンスに視線を向けることがありました(5期生は1位は取っていますが)。

 

 センター曲を持っていたとしてもランクインしなければ歌えないので、しっかり応えたオタクの頑張りには素直にすごいと感心します。そういうところを見ると、総選挙と同様にリクアワも内輪向けのイベントなんだなと感じます。アイドルとファンが信頼関係を強めるためのイベントは、例えばshowroomの課金レースとかだったら自分も拒否反応を示してしまいますが、リクアワは楽しいエンターテイメントとして成り立っていると思うので、これはこれでいいのでしょう。

 

 全体の感想だけでなく個々の曲について書くと、『恋するRibbon!』も聴けたのがうれしかった。この曲のセンターを豊永阿紀さんが歌うことの意味を後で知って、これが歌い継ぐということなんだと、豊永さんのリスペクトする姿勢にグッときてしまいました。この曲に限らずですが、豊永さんは曲の理解がパフォーマンスに反映されているのがよく感じられます。『黄昏のタンデム』はかっこよく、『恋するRibbon!』は可愛く、などなど様々な姿の豊永さんをたくさん見れて、やっぱり豊永さん素晴らしいなという絶賛の気持ちでいっぱいです。リクアワ後の豊永さんのブログやメールを読んでいると、曲の解像度が桁違いに違うので(それはそう)、なんかもう私も日々勉強だなと気を引き締めてオタク続けたいと思います。

 

 これらはHKTにハマる以前から曲が好きだったのですが、実際にライブで見て好きになった曲もあります。劇場で披露したのを見たときに好きになった『3-2』は、リクアワで見ても素晴らしかった。重そうに見えて軽くも感じられる不思議な質感のある衣装とそれを活かした振付が好きです。残念なことに豊永さんがちょうど見えない視界だったので、豊永さんと逆サイドの山下エミリーさんをよく見ていたのですが、『3-2』のエミリーさんはかっこいいですね。エミリーさんの芯のしっかりしたダンスが自分は好きです。

 

 あとはまさか劇はじの『カギトナル』が聴けたこともうれしかった。坂本愛玲菜さんと豊永さんの歌にペンライトを振るのも忘れて聴き入ってしまいました。もう遠い昔のような気もするけれど、『不本意アンロック』はまだ今年の出来事なんですよね。2月の頃を思い出してしまいました。

 

 最後に『誰より手を振ろう』を歌ってくれたことも、HKTオタク幼少期をなないろ公演で育った身としてはとてもとてもうれしかった。この曲をたとえアンコールだとしても見れたことで、私の辿ってきた道もそこまでHKTの正史からずれていないんじゃないかなと、これも勝手な想像だけど安心しました。

 

 衣装替えが多かったのでMCも多く、それらの時間もよく考えられた企画ばかりで飽きずに楽しかったです。特に面白かったのは、松本日向さんの破天荒さが出ていたクイズ松本日向や、オタクが絶対好きであろう先輩後輩相思相愛カップリングです。後日の劇場公演でもたくさん話題に上がった好きな先輩後輩は全員の回答を知りたいぐらい。上野遥さんべったりのイメージがあった上島楓さんが今田美奈さんを選んだのは意外だったし、松岡菜摘さんに選んでもらえなかった山下エミリーさんの悔しそうな表情も最高でした。

 

 またHKTMCというと村重杏奈さんが挙げられるのが常で、リクアワでも村重の部屋で後輩から厳しい質問をぶつけられたり、村重さんのMCは当然安定の面白さでしたが、市村愛里さんがそのMCポジションを狙うかのように、矢吹奈子さんとの一対一のトークに挑戦していたことも熱かった。緊張したと思うけど頑張ってました。歌以外の時間も単なる休憩時間にならず楽しく見れたのがよかったです。

 

 楽しいリクアワでした。大きなイベントの後は毎回言っている気がしますが、HKT48の歴史を感じました。これだけの華やかな過去の積み重ねがあって、最後は45期の勢いで希望を感じさせてくれたので、これからのHKT48も楽しみです。楽しい一日をありがとうございました。

 

 

 

ameblo.jp

8月8日 STU48薮下楓さん卒業コンサート

 最初に断っておくと愚痴っぽい日記です。

 

 今日は神戸でSTU48MiKER!公演と薮下楓さんの卒業コンサートが開催されました。私は両方ともチケットを持っていたのですが、迷いに迷って行くのをやめました。

 

 今朝まで迷っていました。早朝の沖侑果さんと甲斐心愛さんのshowroomを見て、一度行かないと決めた自分でもやはり今日は行くべきではないかと心が揺らいだ。それでも私は新型コロナ(主にデルタ株)への不安が勝って遠征をやめました。

 

 STU48への熱量が落ちたのが一言でまとまる単純な理由です。このブログでも頻繁に熱量熱量言い過ぎなのは自覚していますが、それこそが最も重要だと考えています。どうしてもSTU48に会いたいという気持ちよりも感染リスクの不安のほうが大きかった。お前の命はそんなに大事なものなのかと問われればそうでもないけれど、怖いものは怖い。このような苦しみを生んだ新型コロナとそれに対する社会の対応や分断が憎い。

 

 新型コロナのリスク、特に最近猛威を振るっているらしいデルタ株のリスクがどの程度のものなのか本当によくわからない。もしかしたら私は大袈裟に不安がっているだけかもしれない。この状況でそれぞれの人の価値観の違いが如実に炙り出されて、分断を生み出していると思います。東京など感染者が多い地域で生活している人の人混みに対する慣れと、自分のようなほとんど人と接しない生活をしている人の感覚はだいぶ違うのでしょう。

 

 自分もかなりバイアスがかかっていることは自覚しています。福岡だって相当危険な状況なのに、関東や関西に比べてリスクが低いような錯覚を抱いている。残念ながら現在HKT48の公演は行われていませんが、もし公演があったなら行っていたでしょう。HKTは行けるのにSTUは何故行けないのかと考えたら、地元か地元ではないかが判断の分かれ目となります。地元の福岡でHKTを見るのと、神戸まで赴いてSTUのコンサートを見るのは、自分の中では大きく違う。地元で普通に生活していて(HKTの公演に行くのも普通の生活に含まれます)、新型コロナに感染してしまったら仕方ないかで済ませられるけど、旅先で感染したら仕方ないで自分が納得できるのか心許ないです。命をかけてでも遠征するものなのかと自問してしまい(大袈裟)、しかしそこまで考えなくては行動できないのはやはりおかしい。

 

 もちろん開催されるのだから行くというのはわかります。その選択は間違ってない。行くと決めた人も正しいし、行かないと決めた人も正しいけれど、このように決断が分かれる状況に至らせてしまった社会というか政治がとにかく苛立たしい。

 

 東京オリンピックが開かれているのに何故私達は自粛しなければいけないのかも本当に苛立たしいし、そこで自粛しない人達を私は責められません。オリンピックやってるならこちらだって好きに遊びますよ。しかも自粛している人達のおかげで、自分が感染しなければどう行動しようが勝手だという人達が助かっている可能性もあり、自粛し損という感情にもなってしまいます。

 

 オリンピックを見ていると監督の重要性がとてもよくわかります。日本代表だと女子バスケがその最たる例です。良い指導者の元で優秀なアスリートが育ち、最終的に結果が伴う。対して、今の日本のトップとそこを取り巻く政治はまったく信頼できない。嘘をつかない差別しない記録を残すといった最低限の倫理すらない問題から、常に後手後手の対応や国民軽視といったところまで、今の政治には怒りしかないです。本当に厳しい。なんとか変えたい。

 

 話は少し変わりますが、今日が閉会式の東京2020オリンピックが盛り上がっています。また薮下楓さん卒業も今日に向かってボルテージが高まっていました(もちろんどちらも局所的にですが)。オリンピックにしろ薮下さんの卒業にしろ、盛り上がれば盛り上がるほど、そこで一緒になって騒げない距離感を感じてしまう自分がいて、どんなことにも疎外感を受けてしまうのはよろしくないなと思ってもいます。性格だから仕方ないと思いつつ、このままだとやばいことにならないか心配でもあります。

 

 昨日の小田急線での痛ましい事件も犯人のミソジニー云々が言われてますが、その女性嫌悪に至る過程には生きづらいなどの何かしらの疎外感もあるはず。このような無敵の人による事件が起こる度に、自分がいつかそちら側に行ってしまうのではないか不安になります。今はまだ大丈夫、でも明日は? ぎりぎりで生きている中で、最悪の事態を防ぐためのセーフティネットは自分にどれほどあるのか。被害者の女性はもしかしたら自分であったかもしれない不安を抱く女性がいるように、加害者の男性がいつか自分となる可能性に不安を抱く男がここにいます(とはいえ女性のほうが圧倒的に不安だと思いますが)。どうすれば両者の不安をなくせるのだろうか。許されない事件を起こしてしまう状態に何故至ったのかの根本的な原因を改めなくてはいけないと思います。

 

 話をSTUに戻します。会場には行きませんでしたが配信で薮下楓さん卒業コンサートを見ました。

 

 『少女たちよ』からの『誰かがいつか好きだと言ってくれる日まで』の、陸上公演を彷彿とさせる始まり。ユニット曲のセーラー服や『君のことが好きだから』。何を見ても私が大好きだった最初の陸上公演ツアーを思い出してしまいます。今はいないメンバーが立っていた公演を思い出します。大勢いたメンバーも、いつの間にか1期ドラ3全員でステージに立つしかないほど少なくなりました。そこにまた一人STUから去ることにとてつもない悲しみがあります。

 

 申し訳ないことにずっと薮下楓さんにあまり興味がなかったのですが、去年イ申テレビのクイズ大会で同じグループだったことをきっかけに好きになってきました。薮下さんのshowroomを見始めて、そこで話す彼女の理想とするアイドル像に共感できたことや、MiKER!公演をもっとよくしたいといった熱意があったり、薮下さんの頼もしさに私は惹かれました。そうやって好きになった矢先の卒業だったので悲しかった。もっと見続けたかったけど、こればかりは仕方ありません。

 

 卒業コンサートは薮下さんのやりたいことがたくさん詰まったようなコンサートに感じました。ふうちほで歌った『短日植物』と『思い出のほとんど』がとても良かった。セットリスト良いですね。そしてやはりSTU48の原点は『瀬戸内の声』だと実感しました。この曲を聴くと初心にかえります。薮下さんの未来が輝かしくあることを祈りつつ、最後の『夢力』の時に薮下さんの後ろで泣いていた今村美月さんの潤んだ瞳に、これからのSTU48頼みますと切に願ってしまいました。ともあれ薮下さんと共にSTU48の歴史を振り返るような素晴らしい卒業コンサートでした。配信でも見れてよかったです。薮下さん卒業おめでとう、お疲れ様でした。

 

 なんとも取り留めのない文章になってしまいました。最近はずっと考えていた。断片のような下書きばかり溜まっていて、どうにもそれをアップするほどの勇気はなかったのですが、今回は勢いを借りて思い切って公開してみました。

Tokyo 2020

 東京2020オリンピックが開催中です。競技は見たいけど、日本選手に対する狂信的な実況は聞きたくないので、配信で英語実況を流しながら見ています。英語分かりませんが。英語実況だと女性の実況も多くて新鮮です。彼らはオリンピックのことを「Tokyo twenty twenty」と言っていて、「トゥ、トゥ、トゥ」の語感も好きです。

 

 私はオリンピックの直前にEURO2020ツール・ド・フランスを見ていました。どちらも有観客です。満員のプスカシュ・アレーナでの試合を見て、やはりスポーツには観客が必要だなと感じました。おそらくですがそれらの大会も反対意見はあったはずで、しかし遠い日本にはそこまで伝わらずに、私などは安易に盛り上がっていました。そのような前科があるので、オリンピックに対しても強く開催反対を言えません。

 

 正直コロナ禍を別にしても、この暑い夏に開催しても大変だろうにと思ってますし、甲子園もそうですがこの季節はスポーツに向いてないです。そして無観客はやはり寂しいので、コロナ感染状況をコントロールできた後に有観客で開催してほしかった。またオリンピックに関連して様々な問題が次から次に出てきて毎日苛々しっぱなしです。しかもコロナに関係ない問題だから余計やるせなくなります。諸問題を引き起こした大元の原因は昭和のおっさんの古い価値観だと思っているので、これを機におっさんは絶滅してほしい。もう本当に『持続可能な魂の利用』を実現しなくてはいけないんですよ(そして私も消える)。

 

 話変わって、先日コロナウイルスのワクチン接種に行ってきたのですが、その接種会場では粛々とシステマチックに、それでも適度なホスピタリティでもって接種が行われていました。世の中殺伐としているのにこんなに親切な世界があっていいのかと驚くほどの会場の雰囲気でした。自分も特に問題なく接種することができました。幸いにも病院に行くことが滅多になく、久しぶりに医療の現場に触れたのですが、たとえほんの少しの時間であってもこのように医療の前線で頑張っている人達を見ると、手放しでオリンピックを喜べなくなります。危機的な状況に目を背けてメダルに一喜一憂している場合なのか、金曜日に拍手していればいいのか。その迷いの狭間で私はオリンピックを見ています。

 

 スポーツが好きな側か嫌いな側かといったら好きな側です。体を動かすのは得意ではないけれど、スポーツを見るのは大好き。だからオリンピックも好きです。夏季より冬季オリンピックのほうが好きです。普段はテレビで放送されないような競技を見るのが好きです。団体競技よりも個人競技のほうが好きです。点数を競うよりもとにかく速いほうが勝つ競技が好きです。期間中は環境映像みたいにずっと流しています。

 

 

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 自転車レースが好きなので、男子ロードレースのカラパス、タイムトライアルのログリッチとトム・デュムランにはグッときてしまいました。男子ロードレースは激坂あり、スプリントあり、心理戦ありと、ロードレースの面白さが存分に見れて、しかもその戦いを本場ヨーロッパと同じクオリティで中継してくれてたので、見ていて日本でのレースではないような気がしました。しかし中継に映る風景は田んぼだったり田舎のロードサイドだったりで、まさに日本の夏の風景なので不思議な感覚でした。絶妙なタイミングで抜け出して逃げ切ったカラパス素晴らしかった。TTはログリッチとデュムランの普段はチームメイト同士の復活劇がすごかった。ログリッチ圧倒的でしたし、デュムランの復活は泣けた。

 

 ロードレースやトライアスロンなどの過酷な競技に限らず、陸上やスケートボードなんかもそうですが、最終的に自分との戦いになる競技は一緒に戦う相手へのリスペクトが常に感じられて、試合後に健闘を讃えあうシーンを見ると、こちらまで晴れやかな気分になります。

 

 他によく見ていたのはセーリングやホッケーです。セーリングはどうしてバラバラな方向に進むのかと調べたら、風上に向かうときの戦略の違いなんですね。日本の試合だとバスケ女子の準決勝進出を決めた試合はすごかった。試合を決めた最後のスリーポイントは熱かった…。

 

 しかし試合を純粋に見ているというより選手にまつわる物語に感動しているようなときもあるし、そういう見方をしてしまう自分に嫌気が差します。オリンピックに関する報道が感動ポルノじみてしまうのも然もありなんという気持ちです。

 

 結局のところ、この状況下でオリンピックを見るのはとても複雑です。もっと純粋に楽しみたかった。今やるイベントではなかったよなと思いながら、それでも残りの期間も見続けると思います。

初めまして豊永阿紀さん

 アイドルファンを続けていて、こんなに耐える期間を長く感じたのは初めてかもしれません。だからこそ顔が映った瞬間は朝日が差し込むような清々しい解放感があった。先日やっと豊永阿紀さんとお話しすることが叶いました。

 

 711日、HKT48『君とどこかへ行きたい』オンライン握手会が開かれました。私がHKT48にハマってから初めて発売されたシングルです。そのシングルのオンライン握手会に参加しました。先に会場でHKTメンバーとお話し出来る「会場でおしゃべり会」が告知されていて、そちらにお金を遣ってしまって、後出しのオンライン握手会はあまり買えなかったので豊永阿紀さんのみ参加です。

 

 正確には豊永阿紀さんと話すのは初めてではありません。何回か握手会に参加したことがあります。私はSTU48が好きで、AKB48の握手会が幕張や横浜で開かれた時にSTU48HKT48の皆さんも関東にやってくるので、そのときに豊永さんと握手しました。レベッカブティックを着ている豊永さんが好きだった私は、自分が参加する前日の握手会で豊永さんがレベッカを着ていたことに、自分もこの目で見たかった、とても残念といったようなことを伝えたのをよく覚えています。

 

 このオンライン握手会は、私が福岡に移住してHKT48にハマってから初めてメンバーと会話する機会でした。したがって緊張がやばかった。それも大好きな豊永さんです。ブラウザを前にして、使う握手券の枚数を決定するボタンを押すまで緊張と葛藤でかなり時間がかかりました。

 

 念願の豊永阿紀さんと話すことが出来るまで私は半年以上かかりました。それまでのちょっと興味があるレベルから完全に好きと確信できるほどになったのが去年の秋頃。ひとつ前のシングルである『3-2』は、ずっとオンライン握手会が継続して開催されてましたが、私はその握手券は1枚も持っていませんでした。好きになったタイミングが悪かった。

 

 最近のアイドル現場はそのアイドルに興味を持ってから御本人と対面出来るまでの間隔がとても短い。メジャーなところでなければ、ライブに行ってそのまま特典会で話せる、みたいな流れがポピュラーです。非常に手軽で、その場の勢いでアイドルとコミュニケーション出来ます。

 

 HKT48は違います。新しくファンになった人にとってメンバーと対話できる機会はほとんどありませんでした。こればかりはとにかく待つしかない。既にある程度関係を築けてるHKTファンなら、空白期間もちょっと我慢すればと感じるぐらいで耐えられるかもしれないけれど、こちらは一方通行の熱量なので、いつこの熱量が尽きるかの不安を抱きつつの日々でした。

 

 しかしもともとアイドルというのは一対多の愛なので、容易く一対一のレスポンスが得られると考えてしまうのはこちら側の驕りです。あなたのためにアイドルが存在するわけではないけれど、あなたのために存在しているかのように振る舞えるのがすごいアイドルなのでしょう。私はもっと謙虚にならなければいけません。

 

 現状は初期衝動しかなくて、いつ燃え尽きるかの不安がありました(それはいつものことかもしれませんが)。しかし握手会はなくても公演は続いていたし、豊永さんの魅力はステージにあると思っているので熱量は衰えませんでしたね。また私はあまり在宅が得意でない現場系のオタクですが、インスタで質問に答えてくれたり、配信でコメントに回答してくれたり、現場系と言いつつもアイドルとの在宅的なコミュニケーションに救われてきました。

 

 

 
 
 
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まさにこれ。「会わない」ことの濃度。 

 

 

 豊永阿紀さんとのオンライン握手会は緊張と不安でいっぱいでした。豊永さんはエゴサしまくっていると公言していますし、自分もブログを書いたりSNS(主にインスタ)でたまにコメントしているので、ふざけたハンドルネーム(黒みつきな子)ぐらいは知られているのではと淡い期待は抱いていました。それでも期待してしまうとやはり不安も湧いてきます。普通は初対面(実質的に)のアイドルにそこまで期待しません。期待してしまう根拠があると自分で考えているからそういう思考になるわけで、なんというか卑しいなと自己嫌悪に陥ります。だからオンライン握手会は自らの期待が正しかったか確かめる機会でもあって、しかしそのように捉えてしまう申し訳なさもあり、また呆気なく肩透かしを喰らうのも十分に可能性があったので、会話が始まる直前は不安と葛藤で生きた心地がしませんでした。現実の存在を隠したままファンを続けてもいいかもしれないと思うこともあったけれど、私はそこまで高潔ではありません。

 

 

 

 

 接続が繋がって画面に映った豊永さんはとても驚いた表情をしていました。初めましての挨拶をしてやっと会えてうれしいことを伝えると、彼女も同様のことを言ってくれてこちらもうれしくなります。インターネット上の存在は認識していてブログも読んだとのこと。アイドルにブログが読まれているぐらいはもう慣れっこなので動じません。ブログは誰に見せてもいいファンレターだと思っています。読んでいるだろう予感もありました。本当に有難いことです。

 

 この半年間は本当に手探りで、自分はちゃんと豊永さんを見ているのか、これで本当に豊永さんを捉えているだろうかと問いかけながらブログを書いていました。もちろん私に見えてる豊永さんは私が見たい豊永さんであって、私なりのフィルターがかかっていることは自覚していますが、願わくば豊永さんが見せたい姿と出来る限り重なっていてほしい。

 

 書いても書いても話題が尽きないのが豊永さんの魅力であり素晴らしいところです。だから私もブログを書くのですが、読まれるかもしれないと認識した上で、やはりどう受け取られるのか心配でした。喜ばれる可能性があるなら傷つける可能性もあるわけです。それでも書きたい気持ちはある。思ってもないことをブログに書くつもりはないし、無難にストライクを置きにいくようなこともしたくないけれど、当然デッドボールは投げないように努めました。が、それが本当に大丈夫だったのか、私はずっと不安だった。不安だったと書いておけば許されるかもしれないと考えている自分にも嫌気が差します。しかし豊永さんの顔を見て、少なくともアイドルとしての豊永さんはこちらを受け入れてくれたのではないかと、そう感じました(疑り深くてすみません)。笑顔の豊永さんを見れてとても安堵しました。今回のオンライン握手会を一言で表すと、まさに「安堵」に尽きます。

 

 最後に豊永さんから彼女のお気に入りの小説である『凍りのくじら』について話を振られました。読んだそうなので感想を聞きたいと。ちょうど時間が終わりそうだったので、それでは8月のおしゃべり会で話せたらいいですね、と伝えましたが、よくよく思い出してみたら私が送った手紙について言及してくれてたのだと気付きました。スマホのメモ帳を探すと、なんとも煮え切らない、奥歯に物が挟まったような小説の感想が手紙の下書きとして残っていました。なるほど、読み返すと私もどう伝えればよいか迷いに迷って濁しているのが如実にわかる文章でした。彼女が大切にしている作品だから、一歩踏み込むのも勇気が要り、ある意味逃げたような形になってしまいました。会話を終えた後に小説を再び読みましたが、今も感想をまとめるのは難しい。8月になれば豊永さんに小説の感想を伝えられるのか、まだまだ心許ないです。

 

 いつだってそうですが、もっといろいろ話したいことがあったと気付くのは会話を終えて興奮が落ち着いた頃です。ミュージカルが素晴らしかったことや、豊永さんの写真が好きなことや、『ポーの一族』について、などなど話したいこと聞きたいことはたくさんあったのに、やっと会えたことの喜びで全て忘れてしまいました。

 

 豊永さんと話せたことは幸せでしたが、それよりも安堵の感情が上回って、終わった後はため息をずっとついていました。正直よくわからない。豊永さんに特別な何かを見出そうとする私に警告する私が向き合います。私にとって特別な時間でも、豊永さんにとってはいつもの普段と変わらないアイドルである時間の一部なのだと、浮かれつつも醒めた自分がいます。長くアイドルオタクを続けているからか、それとも単に歳のせいか、どんなに幸せな時間があったとしても私の内の冷静な部分が私を見つめ返します。その冷静さ(自分で言うか)が、オタクの熱量を爆発的な一瞬の炎としないで、長く消えない灯火の支えとなってくれるよう願っています。

 

 

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 ありがとうございました。半年間待ち続けた甲斐がありました。繋がった瞬間の豊永さんの表情に全てが報われました。この日のために書き続けてきたわけではないけれど、ブログを続けていてよかったです。なかなか人と会いづらい今の状況において、豊永さんでなければあり得ない体験でした。とても今満たされています。よかった。本当にホッとした。これからの時間はこれまでの時間とはまた異なる関係性でもって進むはずだけど、双方にとって意味のある時間を歩めればと思います。今後の豊永さんの活動、そして8月のおしゃべり会が待ち遠しい。いやー、画面の向こうの豊永さん素晴らしすぎた。大好きです。

 

 

 

 

2021年上半期を振り返って

 2021年も半分が終わってしまいました。何をしていただろうか。あっという間だったように思うけれど、それでも毎週週末の休みが訪れるのを心待ちにしていたぐらいに一週間は長くて、ただし振り返った時の記憶の少なさが受け取る時間の感覚の短さに繋がっているだけなのだと思います。日々喜んだり悩んだりすることが多くても、上半期という尺で俯瞰してみれば淡々とした生活でした。

 

 福岡に引っ越してきた当初は、休日は意味もなく天神や博多まで出かけてました。しかし今は必要がない限り天神まで出ることはなくなってしまった。遠くまで出かけることもほとんどない。電車に乗るのも一ヵ月に一度あるかないか程度。ほとんど近所で済ます生活に慣れてしまいました。それがいいのか悪いのかわからないけれど、心は平穏です。

 

 もっと変化を求めたほうがいいのかもと思ったりもするけれど、それには相応の負荷がかかるはずだし、無理するのもどうかと躊躇ってしまいます。その挑戦と躊躇いの狭間で悩むことが多い最近です。

 

 東京から福岡に移住するにあたって、アイドルを追いかける趣味から一旦距離を置こうと、そう割り切ってこちらに来ました。アイドルを見るために東京まで行くことも自重しています(結局1回だけ東京に行きましたが)。なので今HKT48にハマっていることには説明が必要です。一応近所で行きやすいからと自分自身に言い訳しています。HKTの劇場は家から近いので、行きつけのお店という感覚で生活の一部となっています。引っ越すまではHKTの新しい劇場がどこにあるかさえ知らなかったのに、今は毎週行くぐらいの馴染みの場所になっているのが自分でもびっくりです。最初は豊永阿紀さんが出る公演しか見ないぞと決めていたのに、今はなんでも見ているし、特にTの『手をつなぎながら』公演がとても楽しく、5年も続いている公演で飽きている人もいるだろうに、私は今いちばん楽しく見ています。

 

 おそらく下半期も、もう少し新しいことに挑戦したほうがいいのではと悩みながら、どこまで新しい一歩を踏み込めるか探る日々だと思います。

 

 最後に上半期といえばの音源まとめと、記憶に残った作品をいくつか挙げておきます。

 

 

RAY『Yellow』

For Tracy Hyde『Ethernity』

Le Makeup, Ryan Hemsworth『Moon Hit』

KID FRESINO20,Stop it.

STUTS & 松たか子 with 3exes『Presence Remix feat. T-Pablow, Daichi Yamamoto, NENE, BIM, KID FRESINO』

 

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宮脇咲良 HKT48 卒業コンサート Bouquet~』

HKT48コンサート みんな 元気にしとった? ~森保まどか 卒業式~』

HKT48 流れ星新幹線ライブ

博多なないろ公演チームブルー『ハイテンション』

STU48課外活動MiKER!公演

 

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『すばらしき世界』

『あのこは貴族』

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

 

#劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』

HKT48 × 大人のカフェ コント劇『恋のストラテジー!』福岡凱旋公演

ACTMENT PARK PresentsFrom Broadway with Love~ブロードウェイより、愛を込めて~

 

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瀬戸夏子『白手紙紀行』

工藤玲音『水中で口笛』

チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』

餅井アンナ『へんしん不要』

 

 

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宮脇咲良 HKT48 卒業コンサート ~bouquet~

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 HKT48宮脇咲良さんの卒業コンサートを配信で見ました。1期生、それも中心メンバーの卒業ということで、それはまさしくHKT48の歴史に触れた時間でした。

 

 森保まどかさんの卒業コンサートの感想を書き終わらないうちに宮脇咲良さんの卒コンが来てしまって、頭の中で朧げにまとまっている言葉をブログに落とし込む前に次から次に新しい出来事が起こり、自分の処理能力が追いついていません。

 

 まず初めに宮脇咲良さんについてです。自分は去年HKT48にハマり始めて、プデュも見ていなかったので、宮脇咲良さんに対して思い入れがありません。自分でもびっくりするぐらい彼女について何も知らない。おでかけはよく見ていたというのに。私の人生と宮脇咲良さんは全く交わることがなくここまできました。なので正直どのような心持ちで卒業コンサートに向き合えばいいのかわからずでした。メンバーやファンの卒業を惜しむ声や思い出話に触れながら、自分は何も感じないことに居心地の悪さがあった。

 

 だからとにかく想像しました。私の中に宮脇咲良さんがいないのなら他人に頼ればいい。周囲の人々が話す言葉、彼女との思い出を元に、少しずつ宮脇咲良さんの輪郭を形作っていきました。

 

 別に宮脇咲良さんに限った話ではないのどけど、人望のある人はとにかく周囲をよく見ています。それは指原莉乃さん然り森保まどかさん然り。多くの人の言葉から、彼女の心配りが垣間見えます。その生き方が尊敬を集め、結果的にマリンメッセという大きな会場で卒業コンサートを開催出来ることに繋がったのでしょう。

 

 卒業コンサートは、もちろん宮脇咲良さん自身が常に主役でありながら、全てのHKTメンバーにスポットライトが当たるように、誰もが宮脇咲良さんと同じステージに立ったことを強く実感出来るような素晴らしい構成でした(といってもこれは森保まどかさんの卒コンの時も同様に感じたことですが)。この機会を逃さずに他HKTメンバーを売り込もうという運営の思惑があったとしても、それ以上に宮脇咲良さん(または森保まどかさん)が後輩をフックアップしている印象が強くて、そう感じさせる優しさがお二方の強みなのかなと思います。

 

 特に素晴らしかったのは中盤のユニット曲の部分でした。人選から曲目まで非の打ち所がない、と言ったらお前はHKT48の何を知っているんだと突っ込まれそうだけど、新規ファンの私から見ても完璧な流れで感動してしまいました。宮脇咲良さんに関して、村重さんとの仲の良さぐらいしか1期生の関係性を知らなかった自分には、なつあおなのかそうなのかと『ジワるDAYS』が始まった瞬間にため息が出てしまいました。森保まどかさんに続いて宮脇咲良さんを見送る松岡菜摘さんの悲しみを堪える姿が美しかった。可愛い曲も、かっこいい曲も、相応しいメンバーを横に並ばせて、指揮者のようにステージをアイドルの輝きで満たす宮脇咲良さんが素晴らしかったです。

 

 矢吹奈子さんと歌った『夢を見ている間』。私はIZ*ONE(PRODUCE 48)にほとんど興味がなかったのですが、そんな自分が何故この曲に反応出来たのかと思い返してみたら、私が唯一繰り返し見ていたIZ*ONEの動画でこのイントロが使われていたからでした。

 

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 おそらく自分が最も見た宮脇咲良さんはこの動画の宮脇咲良さんです。このイ・チェヨンとのパフォーマンスを見ながら、「花道」を現実に表現するならこういうことなのではないかと思った覚えがあります(花道が良いことの比喩表現ということは知ってます)。

 

 そして『思い出のほとんど』からの『夕陽を見ているか』は、1期生の過ごしてきた時間の長さを強烈に感じさせて、完全に言葉を失ってしまった。新規の私でも1期生だけのステージを見るとただただ感傷的になってしまいます。

 

 

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 森保まどかさんの卒業に際しても思ったことで、彼女達は10年近く活動してきた1期生なので膨大なHKT48としての過去があります。その活動はたくさんのファンと共有されています。積み重ねてきた思い出の重みが卒業のステージを一際美しく照らして、見つめる視線も一途になります。私はまだまだ新規なので、昔のHKT48は知識として知るか想像するしかなく、共有した時間の少なさにもどかしくなるときがあります。

 

 また卒業関係ないにしても、HKT48は公演などで普段から頻繁に昔話を繰り広げます。来ているお客さんもそれを懐かしいと感じている雰囲気が常にあります。それは仕方ない。懐古楽しいですものね。一緒に過ごしてきた時間があることを確認出来て幸せになれます。しかしその過去を実体験として記憶に刻まれていない自分は、なんとなく蚊帳の外に置かれていて少し寂しい。

 

 10年という長い時間の抱えきれないほどの思い出を前に、しょうがないことだと思いつつも自分は新規ファンなのだなと実感させられます。今HKT48を好きになるということは、別れに際してこうも毎回私の手が届かない時間があるのかと、時の重みを突きつけられます。

 

 もっと早く好きになっていたらという気持ちもあるけれど、これはもうどうしようもないと諦めるしかない。このような出会いのタイミングの不運を嘆きたくなる時は乃木坂46橋本奈々未さんの言葉を思い出します。

 

みんなの声を見ていると『もっと早く出会ってもっとたくさんななみんに会いに行けば良かった』とか『もっといろんなななみんを見るためにもっといろんなことをしておけば良かった』とかそういう声もたくさん聞いたし見ました。けどそれは違うなと思ってて。人は必要な時に必要な人と会うと思ってます。

 

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 まさにこれです。森保まどかさんの卒業もあって最近この言葉をよく思い出していました。この言葉があるから何かを好きになるのに遅いなんてないと信じています。そんなこの言葉に思いを巡らしていたタイミングにおいて、宮脇咲良さんの卒業コンサート橋本奈々未さんの卒業シングルである『サヨナラの意味』が歌われたことに驚きと共に腑に落ちる感覚がありました。IZ*ONEから好きになった人も、自分のような新規ファンも、それが必然的な出会いだったと語りかけてくれたようでした。宮脇咲良さんには彼女なりの理由があってこの曲を選んだのでしょうが、巡り巡って私も救われたような気持ちになりました。2021年になって『サヨナラの意味』で再び感動することになるとは思わなかったです。

 

 本当に素晴らしい卒業コンサートでした。HKT48を築いた人の集大成と、これからの宮脇咲良さんとHKT48への希望が見えた。この卒コンを見て、宮脇咲良さんを好きになりました。

 

 私がK-POPに触れて知ったいちばん好きな言葉が「花道だけを歩こう(歩いてください)」です。応援しているアイドルに対しての祈りの言葉ですが、初めて知った時は、厳しい現実に立ち向かうからこその祈りが切実過ぎて、それがおとぎ話めいた非現実的な浮遊感を生んでいるように感じられて、その相反する言葉の感触が気に入りました。これはよくデビュー時に使われる言葉らしいですが、門出を祝うこのタイミングで使っても差し支えないだろうと最後に贈らせていただきます(誤用だったら教えてください)。

 

 宮脇咲良さんHKT48ご卒業おめでとうございます。10年間お疲れさまでした。これからのご活躍も楽しみにしています。花道だけを歩いていきましょう。

ACTMENT PARK Presents『From Broadway with Love~ブロードウェイより、愛を込めて~』

actmentpark.com

 

 

 HKT48豊永阿紀さんがミュージカルに出演するとのことで観てきました。久しぶりの東京。去年の秋に東京から福岡に引っ越してから初めて東京に戻りました(出身地でもないので戻るというのもおかしいですが)。毎日通勤していた渋谷だけど、久しぶりの渋谷は緊張しましたね

 

 作品の舞台はブロードウェイ。年代はわかりませんでした。最初にアルがハリウッドでミッキーマウスが誕生したと言っていたので少なくとも1928年以降っぽい。とはいっても1930年代になると世界恐慌だし、その後は戦争です。結局いつの時代の話なのかわからないし、わからなくても大丈夫なので、遠い日本に暮らす人が思い浮かべるブロードウェイのイメージが舞台かな、と私は想像しました。また自分はノーマ・ジーン=マリリン・モンローについてはジョン・Fケネディのためにハッピーバースデーを歌った人ぐらいしか知識がなかったので調べたら、全然ブロードウェイは関係ないんですね(有名になってからニューヨークで暮らしたそうですが)。ハリウッドでモデルとしてスタートし、映画で人気が出たらしいです。彼女は名前だけを借りてきたのかも?? 何か見落としてる情報があるのかもしれませんが。

 

 ミュージカルなのでとにかく皆さんよく歌います。本当に息をするように歌う。アンサンブルまで含めてとにかく皆さん歌が上手すぎる。よくミュージカルで急に歌い出すのが意味わからないとか言われることもありますが、ここはブロードウェイなので歌わない人間は人に非ず。不自然さは全くなく歌の世界が広がっていました(単に私がミュージカルに慣れていただけかもしれませんが)。

 

 私は土日で2公演を観て、キャストもABの両方を観ました。土曜日がBで、日曜日千穐楽A。土曜日に初めて観たとき、途中までこれはマーゴの物語なんだろうなと思っていました。マーゴから見たらイヴに裏切られて、これは最終的に2人は対決するのではと私は観ながら予想していました。そしてそこにノーマが重要なキーパーソンとして絡んでいくのではないかと。所謂ひとつの大きな結末があると予想していました。しかし実際はひとつの結末に収束されることなく、それぞれの幸せの形を掴む結末があった(それを幸せと呼んでいいのなら)。ここにおいて自分は大きな勘違いをしていたことに気付きました。この作品の主役はマーゴではなかった。主役はブロードウェイ、あらゆる人の愛と欲望と夢を呑み込む街が主役ということに気付いたのです。そう言われればタイトルにもがっつりとブロードウェイとアピールされています。この視点に気付けたことで、自分の中で作品の解像度が上がりました。

 

 そもそもの私が豊永阿紀さんのファンなので、豊永さん贔屓の視点だったのですが、ノーマのストーリーがマーゴとイヴのストーリーから離れ過ぎていて、その2つがどう絡んでいくのか全然予想出来なかった。ただこれはマーゴを主役とした場合で、実際の主役はブロードウェイという街だとすると、これは群像劇であり、ブロードウェイという愛と欲望に満ちた街を描くにあたって、夢見る少女を呑み込むストーリーは街のある一面に的確に光を当てています。ブロードウェイで生きる人々の人生を描いたのがこの作品だと気付けたことで、ノーマに関して自分の中で納得出来たものがありました。

 

 そしてノーマという、田舎育ちで都会に夢見る人間を演じるにあたって豊永阿紀さんは最高に適役だったと、私は思います。私はアイドルも演劇も好きなので(演劇はアイドルほど熱心ではないにしても)、アイドルが出演する舞台も観たりします。アイドルが出る舞台の感想を書くときに毎回書いている気がしますが、そのような舞台を観るときにどうしても演じる役を通してアイドルその人を見ようとしてしまう癖が私にはあります(しかしこれも演者が知り合いとかよく知る人であればアイドル関係ないですね)。それが作品の良さを受け取りづらくしてしまうかもしれないし、そのような視点だからこその良さを見い出すこともある。

 

 夢を見続けることを諦めない、ほんの米粒みたいなチャンスでもしがみつこうとするノーマの姿には、アイドルとしての豊永さんが透けて見えました。新規のファンなので、豊永さんのことを知っているかといったら全然知らない自分ですが(というか一生わからないと思う)、まだ短い期間であっても彼女の一途さ貪欲さに出会う瞬間があり、そこに豊永さんを好きでいる幸せを感じることがあります。そのアイドルとしての豊永さんがノーマを通して輝きを放っていました。登場した瞬間からずっと、怖れを知らないノーマの輝きは豊永さんの輝きでもあった。そんなことないよ私にだって不安はあると豊永さんは言うかもしれませんが、少なくとも私から見える豊永さんはとても強い。

 

 千穐楽が終わった日の深夜のインスタライブにて、豊永さんはノーマと重なる部分があると自覚していたことを知って、それはそうですよねとなんだかホッとしてしまいました。本当に「自信のなさがチャンスをつぶすことがないように」です。名前を変えてまでして過去を捨てて、退路を断つかのような決死な気持ちがノーマを、強いては豊永さんを前に突き進めている気がします。

 

 私が好きなノーマは、トムとジェニーとのシーンで、ノーマが何を考えているかわからないとトムがジェニーに不安を告白する場面です。階段の上で未だブロードウェイの高揚感に包まれているノーマと、地に足つけて生活するために現実を見据えているトムとジェニー、その上下の対比がとても切ない。何よりノーマがトムの不安に気付いていないのが辛い。そこで何も疑わずに夢や希望を歌うノーマがあまりに眩しすぎるので悲しい未来を予感させます。残酷なんですが、明るい曲調で悲しくなるこの場面が私はお気に入りです。

 

 ノーマはニューヨークに到着した酒場のシーンも最高ですよね。自己紹介なんて『魔女の宅急便』のキキみたい。新しい街に足を踏み入れた人間特有の、不安よりも好奇心が勝る朗らかな雰囲気が素晴らしかった。その対極でもあるトムと別れることになったときのノーマもすごかった。心折れそうになりながらも自分を奮い立たせるためのノーマの歌が素晴らしかったです。後方の席からも確かに見えた豊永さんの潤んだ瞳は演技には全然見えなかった。

 

 ノーマ的にいちばんの見せ場は最後のシーンだと思うのですが、ここもすごいですよね。豊永さんの一瞬での変わり様に圧倒されましたが、これによってマーゴとイヴの世代交代もブロードウェイではよくある話として片付けられてしまう。ショーが続く限り歴史は繰り返される。まさに「Show must go on」。人が変わり血が入れ替わってもショーは続く、これこそがブロードウェイ。イヴがマーゴに薬を盛る場面で黒ずくめの奴らが出てきますが、「Show must go on」と歌う彼らこそがこのミュージカルの主役、ブロードウェイの魔力なのでしょう。

 

 純朴だったノーマも最終的にはブロードウェイの魔力に取り込まれてしまいますが、そのきっかけを作ったのがスタンです。実際にはもう覚悟は出来ていたノーマにマリリン・モンローという名前を与えるきっかけを作ったのがスタンですが。私はスタンを嫌いになれないんですよね。ブロードウェイを操る者としてヒールであることを自らに課しているようなスタンもこの街に狂わされた人間のひとりだと感じるからです。おそらくだけどマーゴが今の地位まで昇りつめたのもスタンのおかげだろうし、同じようにイヴに対して世代交代を促した。そしてマリリンも、といった具合にブロードウェイの血を循環させていく。ブロードウェイという街を生かすシステムの一部となってしまっています。悲しいことに、ブロードウェイで長く生きてきたとしても、やっていることは同じことの繰り返しでしかない(スタン結構長生きしてますよね)。そのようなスタンの役回りと共に、彼の悪役ぶりに冷酷さを与えている鋭い視線と白く整った歯並び、そして紳士然としたビシッと決まったダンス。それは吸血鬼を彷彿とさせます。不死の鬼としてブロードウェイを生かし続けるためにゴシップを量産する役目を担うスタンも、ある意味ブロードウェイの魔力に狂わされた人間のひとりであり、そこに悲しみを感じてしまいます。

 

 キャストABを両方観て、大きな違いといったらマーゴとイヴなのですが、どちらも素晴らしかったという身も蓋もない感想になってしまいます。最初に観たのがBだったので、花陽みくさんのイヴの変化に息を呑むほど衝撃を受けました。本当に怖かった。マーゴ役のお二方も会場中の心を一気に引き寄せる歌が素晴らしかった。A千穐楽のカーテンコールでマーゴ役の七瀬りりこさんが挨拶したのですが、マーゴとは全然違うおっとりした微笑ましさがあって、役との落差にびっくりしました。七瀬りりこさんは元宝塚ということで、私も何度か宝塚を観劇したことがあるのですが、宝塚の人の役と本人のギャップの大きさにいつも驚かされます。劇中でとても凛々しく堂々としていた男役の方が、最後の挨拶ではゆるふわな挨拶で周囲が助ける場面に遭遇したこともあり、しかしそれもまた魅力なんですよね(単に公演を終えて疲れていただけの可能性もある)。そんな宝塚の記憶が七瀬りりこさんの千穐楽の挨拶で思い出されました。別に宝塚に限った話ではないのかもしれないけれど、特に宝塚は演じる役と本人のギャップの大きさに驚かされます。

 

 最後にまとめる前に、ここで本筋から少し離れます。マーゴはブロードウェイで生き続けるうちに失ってしまった自分自身をジャックの愛によって取り戻します。マーゴを愛しながらずっと見続けていたジャック。彼を見ながら、私は最近よく聴いていたある曲を思い出していました。それはイルリメの『トリミング』という曲です。何故この曲を最近よく聴いていたかというと、HKT48の新曲『君とどこかへ行きたい』と通じるものがあるからです(私は『トリミング』が大好きで様々なことをこの曲に結び付けます)。サビがいいんですよ。

 

 

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見せておきたい景色がずっと募って

写真じゃ切り取りきれないから

話せば白々しくなるから

連れて行きたい気持ちになります

 

しかし今回思い出したのは2番の歌詞です。

 

だけども支えている片腕を

見てられない人がいて

見慣れてる人がいて

見破ってる人がいて

見送ってる人がいる 

 

 マーゴとジャックの2人を観ながら、ジャックのように愛をもって見守り続けてくれる人がいることは尊いなと改めて思いました。基本的に飽きっぽい私も、誰かをずっと見続けたりまたは見られたりすることが今後あるのだろうかと、この曲を聴く度に思うことを舞台を観ながら再び考えました。またアイドルについて、例えば努力に対して結果が伴わないときでも、ファンは必ず頑張りを見てくれていると言われることがよくあります。アイドルは見てくれている人が必ずいるので、それだけでも僥倖だなと思います。特に豊永阿紀さんも所属するHKT48は活動歴も長いので、長くファンを続けている人はすごい。マーゴとジャックの関係から『トリミング』を思い出し、アイドルオタクの古参について考えが及んだけど、結局うまくまとまらなかった

 

 

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数年ぶりのCBGK、私にとってのCBGKはTPDですね。

 

 

 

 素晴らしいミュージカルでした。様々な人間を魅了させるブロードウェイという街を、素晴らしい歌を通して作り上げていました。個人的な願望としては、マーゴとイヴとノーマの3人で『チャーリーズ・エンジェル』よろしくスタンをぶっ倒してくれたら爽快だったのですが、まずはそれぞれの幸せですよね。もう本当に皆幸せになってほしい(アイドルを見ているときと同じ感想)。トムとは別れてしまったけど、マリリンは自分を愛してくれる人と出会えるだろうか。久しぶりに生で観たミュージカルで、本当に観に行けてよかった。素晴らしい作品をありがとうございました。

 

 

 

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