8月8日 STU48薮下楓さん卒業コンサート

 最初に断っておくと愚痴っぽい日記です。

 

 今日は神戸でSTU48MiKER!公演と薮下楓さんの卒業コンサートが開催されました。私は両方ともチケットを持っていたのですが、迷いに迷って行くのをやめました。

 

 今朝まで迷っていました。早朝の沖侑果さんと甲斐心愛さんのshowroomを見て、一度行かないと決めた自分でもやはり今日は行くべきではないかと心が揺らいだ。それでも私は新型コロナ(主にデルタ株)への不安が勝って遠征をやめました。

 

 STU48への熱量が落ちたのが一言でまとまる単純な理由です。このブログでも頻繁に熱量熱量言い過ぎなのは自覚していますが、それこそが最も重要だと考えています。どうしてもSTU48に会いたいという気持ちよりも感染リスクの不安のほうが大きかった。お前の命はそんなに大事なものなのかと問われればそうでもないけれど、怖いものは怖い。このような苦しみを生んだ新型コロナとそれに対する社会の対応や分断が憎い。

 

 新型コロナのリスク、特に最近猛威を振るっているらしいデルタ株のリスクがどの程度のものなのか本当によくわからない。もしかしたら私は大袈裟に不安がっているだけかもしれない。この状況でそれぞれの人の価値観の違いが如実に炙り出されて、分断を生み出していると思います。東京など感染者が多い地域で生活している人の人混みに対する慣れと、自分のようなほとんど人と接しない生活をしている人の感覚はだいぶ違うのでしょう。

 

 自分もかなりバイアスがかかっていることは自覚しています。福岡だって相当危険な状況なのに、関東や関西に比べてリスクが低いような錯覚を抱いている。残念ながら現在HKT48の公演は行われていませんが、もし公演があったなら行っていたでしょう。HKTは行けるのにSTUは何故行けないのかと考えたら、地元か地元ではないかが判断の分かれ目となります。地元の福岡でHKTを見るのと、神戸まで赴いてSTUのコンサートを見るのは、自分の中では大きく違う。地元で普通に生活していて(HKTの公演に行くのも普通の生活に含まれます)、新型コロナに感染してしまったら仕方ないかで済ませられるけど、旅先で感染したら仕方ないで自分が納得できるのか心許ないです。命をかけてでも遠征するものなのかと自問してしまい(大袈裟)、しかしそこまで考えなくては行動できないのはやはりおかしい。

 

 もちろん開催されるのだから行くというのはわかります。その選択は間違ってない。行くと決めた人も正しいし、行かないと決めた人も正しいけれど、このように決断が分かれる状況に至らせてしまった社会というか政治がとにかく苛立たしい。

 

 東京オリンピックが開かれているのに何故私達は自粛しなければいけないのかも本当に苛立たしいし、そこで自粛しない人達を私は責められません。オリンピックやってるならこちらだって好きに遊びますよ。しかも自粛している人達のおかげで、自分が感染しなければどう行動しようが勝手だという人達が助かっている可能性もあり、自粛し損という感情にもなってしまいます。

 

 オリンピックを見ていると監督の重要性がとてもよくわかります。日本代表だと女子バスケがその最たる例です。良い指導者の元で優秀なアスリートが育ち、最終的に結果が伴う。対して、今の日本のトップとそこを取り巻く政治はまったく信頼できない。嘘をつかない差別しない記録を残すといった最低限の倫理すらない問題から、常に後手後手の対応や国民軽視といったところまで、今の政治には怒りしかないです。本当に厳しい。なんとか変えたい。

 

 話は少し変わりますが、今日が閉会式の東京2020オリンピックが盛り上がっています。また薮下楓さん卒業も今日に向かってボルテージが高まっていました(もちろんどちらも局所的にですが)。オリンピックにしろ薮下さんの卒業にしろ、盛り上がれば盛り上がるほど、そこで一緒になって騒げない距離感を感じてしまう自分がいて、どんなことにも疎外感を受けてしまうのはよろしくないなと思ってもいます。性格だから仕方ないと思いつつ、このままだとやばいことにならないか心配でもあります。

 

 昨日の小田急線での痛ましい事件も犯人のミソジニー云々が言われてますが、その女性嫌悪に至る過程には生きづらいなどの何かしらの疎外感もあるはず。このような無敵の人による事件が起こる度に、自分がいつかそちら側に行ってしまうのではないか不安になります。今はまだ大丈夫、でも明日は? ぎりぎりで生きている中で、最悪の事態を防ぐためのセーフティネットは自分にどれほどあるのか。被害者の女性はもしかしたら自分であったかもしれない不安を抱く女性がいるように、加害者の男性がいつか自分となる可能性に不安を抱く男がここにいます(とはいえ女性のほうが圧倒的に不安だと思いますが)。どうすれば両者の不安をなくせるのだろうか。許されない事件を起こしてしまう状態に何故至ったのかの根本的な原因を改めなくてはいけないと思います。

 

 話をSTUに戻します。会場には行きませんでしたが配信で薮下楓さん卒業コンサートを見ました。

 

 『少女たちよ』からの『誰かがいつか好きだと言ってくれる日まで』の、陸上公演を彷彿とさせる始まり。ユニット曲のセーラー服や『君のことが好きだから』。何を見ても私が大好きだった最初の陸上公演ツアーを思い出してしまいます。今はいないメンバーが立っていた公演を思い出します。大勢いたメンバーも、いつの間にか1期ドラ3全員でステージに立つしかないほど少なくなりました。そこにまた一人STUから去ることにとてつもない悲しみがあります。

 

 申し訳ないことにずっと薮下楓さんにあまり興味がなかったのですが、去年イ申テレビのクイズ大会で同じグループだったことをきっかけに好きになってきました。薮下さんのshowroomを見始めて、そこで話す彼女の理想とするアイドル像に共感できたことや、MiKER!公演をもっとよくしたいといった熱意があったり、薮下さんの頼もしさに私は惹かれました。そうやって好きになった矢先の卒業だったので悲しかった。もっと見続けたかったけど、こればかりは仕方ありません。

 

 卒業コンサートは薮下さんのやりたいことがたくさん詰まったようなコンサートに感じました。ふうちほで歌った『短日植物』と『思い出のほとんど』がとても良かった。セットリスト良いですね。そしてやはりSTU48の原点は『瀬戸内の声』だと実感しました。この曲を聴くと初心にかえります。薮下さんの未来が輝かしくあることを祈りつつ、最後の『夢力』の時に薮下さんの後ろで泣いていた今村美月さんの潤んだ瞳に、これからのSTU48頼みますと切に願ってしまいました。ともあれ薮下さんと共にSTU48の歴史を振り返るような素晴らしい卒業コンサートでした。配信でも見れてよかったです。薮下さん卒業おめでとう、お疲れ様でした。

 

 なんとも取り留めのない文章になってしまいました。最近はずっと考えていた。断片のような下書きばかり溜まっていて、どうにもそれをアップするほどの勇気はなかったのですが、今回は勢いを借りて思い切って公開してみました。