初めまして豊永阿紀さん

 アイドルファンを続けていて、こんなに耐える期間を長く感じたのは初めてかもしれません。だからこそ顔が映った瞬間は朝日が差し込むような清々しい解放感があった。先日やっと豊永阿紀さんとお話しすることが叶いました。

 

 711日、HKT48『君とどこかへ行きたい』オンライン握手会が開かれました。私がHKT48にハマってから初めて発売されたシングルです。そのシングルのオンライン握手会に参加しました。先に会場でHKTメンバーとお話し出来る「会場でおしゃべり会」が告知されていて、そちらにお金を遣ってしまって、後出しのオンライン握手会はあまり買えなかったので豊永阿紀さんのみ参加です。

 

 正確には豊永阿紀さんと話すのは初めてではありません。何回か握手会に参加したことがあります。私はSTU48が好きで、AKB48の握手会が幕張や横浜で開かれた時にSTU48HKT48の皆さんも関東にやってくるので、そのときに豊永さんと握手しました。レベッカブティックを着ている豊永さんが好きだった私は、自分が参加する前日の握手会で豊永さんがレベッカを着ていたことに、自分もこの目で見たかった、とても残念といったようなことを伝えたのをよく覚えています。

 

 このオンライン握手会は、私が福岡に移住してHKT48にハマってから初めてメンバーと会話する機会でした。したがって緊張がやばかった。それも大好きな豊永さんです。ブラウザを前にして、使う握手券の枚数を決定するボタンを押すまで緊張と葛藤でかなり時間がかかりました。

 

 念願の豊永阿紀さんと話すことが出来るまで私は半年以上かかりました。それまでのちょっと興味があるレベルから完全に好きと確信できるほどになったのが去年の秋頃。ひとつ前のシングルである『3-2』は、ずっとオンライン握手会が継続して開催されてましたが、私はその握手券は1枚も持っていませんでした。好きになったタイミングが悪かった。

 

 最近のアイドル現場はそのアイドルに興味を持ってから御本人と対面出来るまでの間隔がとても短い。メジャーなところでなければ、ライブに行ってそのまま特典会で話せる、みたいな流れがポピュラーです。非常に手軽で、その場の勢いでアイドルとコミュニケーション出来ます。

 

 HKT48は違います。新しくファンになった人にとってメンバーと対話できる機会はほとんどありませんでした。こればかりはとにかく待つしかない。既にある程度関係を築けてるHKTファンなら、空白期間もちょっと我慢すればと感じるぐらいで耐えられるかもしれないけれど、こちらは一方通行の熱量なので、いつこの熱量が尽きるかの不安を抱きつつの日々でした。

 

 しかしもともとアイドルというのは一対多の愛なので、容易く一対一のレスポンスが得られると考えてしまうのはこちら側の驕りです。あなたのためにアイドルが存在するわけではないけれど、あなたのために存在しているかのように振る舞えるのがすごいアイドルなのでしょう。私はもっと謙虚にならなければいけません。

 

 現状は初期衝動しかなくて、いつ燃え尽きるかの不安がありました(それはいつものことかもしれませんが)。しかし握手会はなくても公演は続いていたし、豊永さんの魅力はステージにあると思っているので熱量は衰えませんでしたね。また私はあまり在宅が得意でない現場系のオタクですが、インスタで質問に答えてくれたり、配信でコメントに回答してくれたり、現場系と言いつつもアイドルとの在宅的なコミュニケーションに救われてきました。

 

 

 
 
 
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まさにこれ。「会わない」ことの濃度。 

 

 

 豊永阿紀さんとのオンライン握手会は緊張と不安でいっぱいでした。豊永さんはエゴサしまくっていると公言していますし、自分もブログを書いたりSNS(主にインスタ)でたまにコメントしているので、ふざけたハンドルネーム(黒みつきな子)ぐらいは知られているのではと淡い期待は抱いていました。それでも期待してしまうとやはり不安も湧いてきます。普通は初対面(実質的に)のアイドルにそこまで期待しません。期待してしまう根拠があると自分で考えているからそういう思考になるわけで、なんというか卑しいなと自己嫌悪に陥ります。だからオンライン握手会は自らの期待が正しかったか確かめる機会でもあって、しかしそのように捉えてしまう申し訳なさもあり、また呆気なく肩透かしを喰らうのも十分に可能性があったので、会話が始まる直前は不安と葛藤で生きた心地がしませんでした。現実の存在を隠したままファンを続けてもいいかもしれないと思うこともあったけれど、私はそこまで高潔ではありません。

 

 

 

 

 接続が繋がって画面に映った豊永さんはとても驚いた表情をしていました。初めましての挨拶をしてやっと会えてうれしいことを伝えると、彼女も同様のことを言ってくれてこちらもうれしくなります。インターネット上の存在は認識していてブログも読んだとのこと。アイドルにブログが読まれているぐらいはもう慣れっこなので動じません。ブログは誰に見せてもいいファンレターだと思っています。読んでいるだろう予感もありました。本当に有難いことです。

 

 この半年間は本当に手探りで、自分はちゃんと豊永さんを見ているのか、これで本当に豊永さんを捉えているだろうかと問いかけながらブログを書いていました。もちろん私に見えてる豊永さんは私が見たい豊永さんであって、私なりのフィルターがかかっていることは自覚していますが、願わくば豊永さんが見せたい姿と出来る限り重なっていてほしい。

 

 書いても書いても話題が尽きないのが豊永さんの魅力であり素晴らしいところです。だから私もブログを書くのですが、読まれるかもしれないと認識した上で、やはりどう受け取られるのか心配でした。喜ばれる可能性があるなら傷つける可能性もあるわけです。それでも書きたい気持ちはある。思ってもないことをブログに書くつもりはないし、無難にストライクを置きにいくようなこともしたくないけれど、当然デッドボールは投げないように努めました。が、それが本当に大丈夫だったのか、私はずっと不安だった。不安だったと書いておけば許されるかもしれないと考えている自分にも嫌気が差します。しかし豊永さんの顔を見て、少なくともアイドルとしての豊永さんはこちらを受け入れてくれたのではないかと、そう感じました(疑り深くてすみません)。笑顔の豊永さんを見れてとても安堵しました。今回のオンライン握手会を一言で表すと、まさに「安堵」に尽きます。

 

 最後に豊永さんから彼女のお気に入りの小説である『凍りのくじら』について話を振られました。読んだそうなので感想を聞きたいと。ちょうど時間が終わりそうだったので、それでは8月のおしゃべり会で話せたらいいですね、と伝えましたが、よくよく思い出してみたら私が送った手紙について言及してくれてたのだと気付きました。スマホのメモ帳を探すと、なんとも煮え切らない、奥歯に物が挟まったような小説の感想が手紙の下書きとして残っていました。なるほど、読み返すと私もどう伝えればよいか迷いに迷って濁しているのが如実にわかる文章でした。彼女が大切にしている作品だから、一歩踏み込むのも勇気が要り、ある意味逃げたような形になってしまいました。会話を終えた後に小説を再び読みましたが、今も感想をまとめるのは難しい。8月になれば豊永さんに小説の感想を伝えられるのか、まだまだ心許ないです。

 

 いつだってそうですが、もっといろいろ話したいことがあったと気付くのは会話を終えて興奮が落ち着いた頃です。ミュージカルが素晴らしかったことや、豊永さんの写真が好きなことや、『ポーの一族』について、などなど話したいこと聞きたいことはたくさんあったのに、やっと会えたことの喜びで全て忘れてしまいました。

 

 豊永さんと話せたことは幸せでしたが、それよりも安堵の感情が上回って、終わった後はため息をずっとついていました。正直よくわからない。豊永さんに特別な何かを見出そうとする私に警告する私が向き合います。私にとって特別な時間でも、豊永さんにとってはいつもの普段と変わらないアイドルである時間の一部なのだと、浮かれつつも醒めた自分がいます。長くアイドルオタクを続けているからか、それとも単に歳のせいか、どんなに幸せな時間があったとしても私の内の冷静な部分が私を見つめ返します。その冷静さ(自分で言うか)が、オタクの熱量を爆発的な一瞬の炎としないで、長く消えない灯火の支えとなってくれるよう願っています。

 

 

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 ありがとうございました。半年間待ち続けた甲斐がありました。繋がった瞬間の豊永さんの表情に全てが報われました。この日のために書き続けてきたわけではないけれど、ブログを続けていてよかったです。なかなか人と会いづらい今の状況において、豊永さんでなければあり得ない体験でした。とても今満たされています。よかった。本当にホッとした。これからの時間はこれまでの時間とはまた異なる関係性でもって進むはずだけど、双方にとって意味のある時間を歩めればと思います。今後の豊永さんの活動、そして8月のおしゃべり会が待ち遠しい。いやー、画面の向こうの豊永さん素晴らしすぎた。大好きです。