閏年といっても1年でいちばん短い2月が終わった。短い2月のはずなのに、この1週間はとても長く感じた。理由はわからない。日本海側の冬らしい、太陽の光が薄い天候にメンタルがやられていたのかもしれない。
2月は本を読んでマラソンを走った月だった。マラソンについては前回書いたので、今回は読書の話。最近はあまり本を読めてなかったのだが、久しぶりにしっかりと小説を読んだ。ここ数年の私は日本の小説が読めなくて、小説を読むとしたら、専ら海外の小説ばかりだ。逆にエッセイや日記などは日本の作家さんの作品をよく読んでいる。
2月のあいだ、ずっと読んでいたのはW•G•ゼーバルトの『土星の環 イギリス行脚』という小説だ(小説と思っていたけどもしかしたら小説ではないのかもしれない)。
簡単にまとめると、題にもあるようにイギリス旅行記なのだが、単純な旅行記ではなく、とにかくいろいろ話が飛びまくる小説だ。イギリスだけでなく、アフリカや中国などなど、国だけでなく年代も様々な話が旅の合間に語られる。昔話をするしかない老人の話し方みたいに、思いつくままにいろいろな話が差し込まれる。旅行記は体裁だけで、旅に導かれて語り始める四方山話がメインの小説だ。
主人公が語るそれらの話は、遠い記憶を掘り起こしてきたものがほとんどで、どれも朧な印象を受ける。セピア色の情景が思い浮かぶような、ディテールは細かいのに掴みどころのない文章は、ちょうど今の季節と質感が似通っていて、我ながらベストなタイミングで読んだと自分を褒めたくなる。
私にとって海外文学を読むのは、ある種の現実逃避でもある。国内の小説は逆に、より現実を直視するように自分を向けてしまいがちで、疲れている時にはあまり読めない。現実を忘れさせてくれるのが海外文学となっている(もちろん国内外問わず作品によりけりだけど)。そもそも何故現実逃避するかといえば、逃避するしかないようなやりきれない毎日だからだ。
ゼーバルト『土星の環 イギリス行脚』が面白いのは、主人公の語る様々な話も現実逃避的である点だ。主人公はイギリスの旅から目を逸らすように、過去に縋りついて昔話を繰り返す。ということは、それを読む私は、二重の現実逃避をしていることになる。これほど念入りな逃避なのだから、居心地が良いのは当然だ。毎晩寝る前にこれを読むのが幸せな時間だった(といっても布団に入ってからスマホで動画を見たりして読書の余韻を台無しにしてしまうのだけど)。
こうやって薄暗い2月を越してきた。3月は春も近づくことだし、もう少し明るく生活していきたいなと思う。どうしても懐古しがちな自分だけど、過去に向ける視線と同じぐらいの強さで未来も見つめていきたい。