2月のボストン

 ふと気になって数えてみたら、ちょうど20年前の2月が初めて海外に行った時期だった。初めてであり、今のところ最後の海外となっているのだけど。その時に取ったパスポートの期限はとっくに切れている。

 

 20年前、当時大学生だった自分は今とは比べ物にならないぐらい意識が高かった。意識が高いという表現がその頃にあったかはわからないけれど、もしあったなら意識が高い学生という言葉がぴったりの自分だった。大学に慣れはしたが、このままだらだらと学生生活を続けていてはダメだとの焦燥感から手っ取り早く変化を求めようとした私は語学留学をすることに決めた(さすがにインドにバックパッカーとかは無謀だと思っていた)。

 

 行ったのは2月のボストン。期間は大学の冬休みを使った1ヶ月間。冬のアメリカ東部は寒くて、留学先としても人気がないほうだったので、他の地域や季節と比べて安く行けるというのが選んだ理由だった(逆に夏のボストンは人気だったはず)。あとはアメリカに行くなら西よりも東のほうが自分に合っていそうな気がしたせいもある。イギリスは当時の自分には敷居が高いイメージがあった。

 

 初めての飛行機に乗って着いたボストンは、2月なので当然寒くて、街のいたるところに溶けない雪が固まっていたけれど、幸いにも大雪などには見舞われることもなく、防寒をしっかりしていれば快適に過ごせた。ボストンの街は、地元のニューイングランド・ペイトリオッツスーパーボウルを勝って少し経った後で、デパートでは優勝記念グッズがセールで売られていたり、祭りの後の雰囲気がまだあった。

 

 1ヶ月間ホームステイしながら語学学校に通って、世界中から集まった学生達と一緒に学んだ。20年経っても覚えていることはたくさんあるのに、学校で何をどう学んだかは、まったく記憶から抜け落ちてしまった。何を勉強したかはすっかり忘れているのに、お昼ご飯の時間だけは覚えているのだから不思議なものだ。

 

 英語での生活も、中学生レベルぐらいの英語でもなんとかなるような感覚で、学生の日常生活なら特に困ることもなかった。と思ってしまったのは、いずれ自分は帰国するからという安心感があったからかもしれないもしそのままアメリカで暮らし続けなければいけないとなったら、もう少し真面目に勉強していたかもと、今の自分なら思ってしまう。

 

 とまあ、こんな自分語りを誰が読むのか。おっさんの昔話ほど望まれていないものはないとわかっていながらも書いてしまう厳しさがある。自分語りをしたい欲求と自己嫌悪が共存している。本当は、何回訪れても全部を見て回ることは不可能だったボストン美術館とか、自分の勘違いでうまくいかなかった会話の数々とか、滞在先近くのスタバの店員の優しさとか、いろいろ書きたいことはあるけれど、ここでは割愛。

 

 この短期語学留学(シンプルに留学と書くには期間が短すぎて本気の留学生に申し訳ないためこう書く)のためにデジカメを買って、向こうでいろいろ撮ったのだが、その撮影データがどこにあるのか、今はもうさっぱりわからない。あの時の冬のボストンの風景は、ただ自分の記憶の中にしかない。時間が経つにつれ、どんどん思い出が美化され、記憶の中の風景が往年のアメリカの映画っぽく変化していく。すべてが色褪せた先に何が残るのか。

 

 豊永阿紀さんはニューヨークに行きたいといつだったか言っていたボストン滞在時の数少ない後悔がニューヨークに行かなかったことだ。ボストンからならニューヨークは近いのに、何故か行く気が起きなかった。今はもうアメリカまで行く気力がない。ニューヨークだけでなく、ボストン以降どこにも海を越えて行ってない。もっぱら海外文学で触れるのみだ。また海外に行きたくなるような熱量が自分に生まれるだろうか。