豊永阿紀さんの新しい髪色がもたらす演出効果と偏ったイメージの炙り出し

 公演は終わりましたが一応書いておくとネタバレしています。

 

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 福岡市唐人町商店街の甘棠館Show劇場で10月7日から10日にかけて上演された舞台『しゃーSHE♀彼女』を観ました。しゃーしい、福岡の方言で面倒くさいを意味する言葉がタイトルに掲げられた本作は、恋愛をメインに様々な場面でのしゃーしい女性が巻き起こす騒動を描いた演劇作品です。オムニバス形式となっていて、しゃーしい女性が出てくる相互に話の関連はない小品が8本まとめて上演されます。

 

 舞台の話に入る前に、遡って先月のある出来事について書かなければなりません。この作品に出演するHKT48豊永阿紀さんがこれまでの黒髪から髪をオレンジ色に染めたのです。その時のブログを読むと、初めて髪を染めたとのこと。きっかけのひとつとして「上演される舞台への準備を機に」と書かれており、ブログを読んだ当時、これは気持ちの問題で心機一転ぐらいの感覚なのだろうと想像していました(しかし今読み返すとブログ後半では「仕事で必要性を感じたとき」とも書かれてますね)。10月になり、舞台を観た現在は、この作品において豊永さんの髪色はかなり重要ではないかと考えています(私は豊永さんの出るBチームの公演を観ました)。

 

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 それは最後の演目においてでした。オムニバス形式の本作品の最後を締めくくるのは女性5人組の話『したたか女』です。この話は5人グループのある女性の彼氏がグループ内の他の女性と浮気しまくり、それによって生じるヒリヒリした人間関係を描いています。まあ大概男も悪い。

 

 話が始まってまず気付いたのは、舞台上にいる5人の女性のうち4人が黒髪ということです(舞台上に男は出ません)。20代ぐらいの女性が5人集まって、その中の4人もが黒髪というのはどのような関係の集まりなのだろうかと疑問が湧きます。若い人は誰しも髪を染めるものと考えるのは短絡的かもしれませんが、それにしてもこのグループを見た時の第一印象はなんか地味でした。そこに唯一の派手な髪色としての登場人物、豊永阿紀さん演じるちひろがいます。ぱっと見、グループ内では完全にチャラい女の役割を任されています(豊永さんがいるから黒髪も目立つということもあると思います)。

 

 話が進むとやはりといった感じで、グループの女性(中山理愛さん)の彼氏がちひろと浮気していることが発覚します。あからさまに派手な女が派手な交友関係を繰り広げています。

 

 途中の流れを飛ばして結末をネタバレすると、友人の彼氏と寝ていたちひろもやばいが、それまでずっと傍観者だった山津彩花さん演じるともよも同様に同じ男と浮気していて、その場はそれこそしたたかに隠し通せると思っていたが最後の最後でさらにしたたかな女にバレる形で終わります(この最後にバレる女性は私が観た中で1回だけ違う人でしたが基本的にともよがバレる)。

 

 彼氏のLINEを覗き見て、ちひろとの浮気を発見した人間が他の女との浮気も見逃すはずはないので、まずちひろを告発したのは、そうすればともよもボロを出すはずだと想定してのことで、結構怖い最後の流れはやはり計画的に仕組んだものでしょう。

 

 髪色に注目して『したたか女』をまとめると、髪の色が派手な女性だから行動も派手なわけではなく、黒髪だろうがなんだろうがやばい奴はやばい、となります(ついやばいと書いてしまいましたがこの舞台はしゃーしいよりもやばい怖いのほうが先に来るのは私が福岡出身ではないから?)。今時髪の色で人を判断するほど鈍感な人はいないかと思いますが、それでも髪の色にただの色以上の意味を持たせているコミュニティは多いと思われ、私もそのひとつ(アイドル)に属しています。本作はそのようなコミュニティに由来する思い込みを利用して、(少なくとも私に関しては)オチの意外性を高めています。

 

 では私にはどのような思い込みがあったのか。それは黒髪に託された清純なイメージです。とはいっても実際にそんなイメージは信じていませんが、そういうイメージが今も存在すると認識していますし、時と場合によってはそのイメージを信じる体で向き合うこともあるぐらいの距離感です。

 

 一般社会や他のカルチャージャンルはともかくとして、アイドルというジャンルはとかく黒髪にこだわる人がアイドル側(運営も含む)にもファン側にも多い気がします(48系だけ?)。NMB48が『絶滅黒髪少女』というストレートな黒髪テーマの曲を歌ったように、黒髪に対して強い幻想が存在します(今はどうなんでしょうか)。黒髪は清純であるといったイメージ(ここでいう清純とは性格が擦れていないぐらいの定義です)は、裏を返せば髪を染めたら大人になったという意味です(アイドル黒髪問題はだいたいが年齢の問題です)。この初めて髪を染めるタイミングに、アイドルオタクは大変厳しいと私は感じます。好きなようにすればいいじゃない。整形とどこが違うのよ(ここで価値観の戦争が起こる)。

 

 このような黒髪に意味を持たせすぎたジャンルでオタクをやっていると、最終的に黒髪は単なる記号に見えてきます。そのような視点で『したたか女』を観ると、5人のうちの黒髪4人は清純な人間、つまりしゃーしい女性には分類されません。実際黒髪清純イメージに拘りがない自分でも、この場面でこの配役を見せられると、髪の色に意味を持たせた見方が自然なのではないかと思ってしまいます。そのアイドルオタク的に偏った見方で舞台を観る人に対して、その偏見を炙り出し逆手に取って、人は見かけじゃないよと諫めるのが本作の面白さです。

 

 また豊永阿紀さん演じるちひろの捨て台詞がかなりエグいので、観客はここがクライマックスだと勘違いしてしまうのも、最後の大ネタのぶっ込み具合に相乗効果を与えています。ラスボスのともよも、男に関して過去にしがみついていると受け取れる台詞を言っていて、これも注意を逸らす意味で有効でした。ともよ役の山津彩花さんの前に出過ぎない演技も複数回観るとさすがだなと思えてきます。

 

 最後に。劇中の役に対して派手な女呼ばわりしてしまった豊永阿紀さんですが、私は今の豊永さんも大好きです。これを書きながらも、自分の力量不足で今の豊永さんの髪色を批判しているように読み取られるのではないかと不安です。結局ちひろは、見た目はギャルだけど実はいい奴、というよくあるタイプでもなさそうですしね。明るい髪色の豊永さんは好きですが、ちひろは批判的に観ることをうまく伝えるのが難しい。

 

 豊永さんの魅力は自分自身を好きでいるために変化していくことを躊躇わないところだと思うので、秋の夕焼け色のような今の豊永さんも大好きです。これからも自身の信じる方向へ突き進んでいってほしい。ただ私が思う他の魅力のひとつに、豊永さんは秘密を抱えることを美しいと信じているような部分があります。それが今回の作品の悪女のような役にうまくハマったのではないかと感じて、役者と演じる役は別人だと思っていてもなんだか複雑です。

 

 以上のように、『したたか女』において豊永阿紀さんの新しい髪色がアイドルオタク的観客の思い込みを誘発し、その思い込みを逆手に取った結末とすることで作品に単なる驚きのオチ以上の面白さを与えたと言えます。この舞台に関して、豊永さんが髪を染めたのは成功だったと思います。そして舞台関係なく、豊永さんが髪を染めたことは、変化を恐れない意思を示すこれ以上ない証となって彼女だけの光を発しています。それはとても幸福で、私は眩しさで目を細めます。

 

 

 

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