『したたか女』についてずっと考えている

kiyc.hateblo.jp

 

 

 先週久しぶりにブログを書いて、自分で書いておきながら、創作物での髪色によるカテゴライズはこじつけに近いなと自己嫌悪気味になってしまった。自分で信じてもいないことを、舞台を観ている間だけは信じて観るように自分を仕向ける。それは簡単だけど、こうやって後で文章に残すと負の記録のような気がして釈然としません。

 

 どうして自分の思考(信念というほど確固としたものではないけれど)と、作品の見方にズレが出てしまうのか。それは作品の根底を成す意識が今の世の中の流れとはズレているからではと私は思います。

 

 この一週間私は『したたか女』についてずっと考えていました。どうして面倒くさい女性の話が女同士の争いになってしまったのだろうか(『しゃーSHE♀彼女』には女同士の争いでない話もありますが)。どうして彼女達は争わなければならなかったのか。男の浮気に対して、友人同士であったために彼らは友情を取るか男を取るかの選択を迫られてしまった。男を選んだ彼らは、結局男に振り回されてしまっています。もし彼女らが見ず知らずの他人だったら、戦うべき相手が男になっていたかもしれない。それでも男を取っていたかもしれませんが。

 

 別にシスターフッド的な連帯を見たかったとかそういうわけでもないけれど、描き方に古さを感じてしまって、今は2021年なんだけどなとしんみりしてしまった。もちろん自分の古い感覚もアップデートされているかは心許ないです(このアップデートという単語も最近は使われ過ぎて疑いを持たれてますが)。それでも誰もが生きやすい社会を目指そうと努めたい気持ちはあるし、そのような社会を目指す流れに賛同しています。その潮流を意識している中で、女性達が男を取り合うもしくは男に振り回される女性達、といった旧態依然のストーリーを持ち出されるとうーん…今見たいのはこれじゃないとなってしまいます。

 

 まあ愚痴ですねはい。何か自分は見落としているのだろうか。もっと違う見方があれば知りたいです。