#劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』感想その2

 気が向いた時に『不本意アンロック』の感想を書き溜めていて、ある程度まとまったので記事にしました。今回はネタバレなしです。

 

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 前回の『不本意アンロック』感想ブログで伏線回収礼讃に最近は疑問を抱いていると書いたけれど、よくよく考えてみたらあんたの好きな映画はバリバリの伏線回収系映画じゃん!! ということに思い至り、すごく恥ずかしくなってきた。しかしまあそれらの映画が好きなのは伏線回収がすごいからではないのだと言い訳したとしてもやはり居心地が悪い。ちなみにその好きな伏線回収系映画は『インターステラー』と『裏切りのサーカス』です。『裏切りのサーカス』は1回目は絶対わからないし、2回目観たとしても話の筋がわからない難解な映画だ。

 

 『不本意アンロック』も伏線回収の妙があり、何回観ても楽しめる作品だ。しかし何回観ても楽しめるから何回も観られるかというと、やはりそれは人それぞれ好みがあり、偶然私の好みと合っていたから何回でも観られるにすぎない。

 

 ではその繰り返し観ることが出来る理由は何なのか? それはもう作品全体の雰囲気だと思う。『不本意アンロック』全体を貫く、部屋の中でも曇り空のような雰囲気。それはぬるま湯のような優しさが感じられる。逡巡する場としての佳の部屋は、私にも親近感があり居心地が良いだけに、そこで佳に掛けられる言葉がグサグサと私に刺さる。

 

 これらのトータルの世界観がプロデューサーの意向なのか、演出の下野さんによるものなのかはわからないけれど、私は好きだ。その作り上げられた世界は私を受け入れてくれる。だからこそ何回も観られる。

 

 役者の演技もとても自然体で、私も無理なく話の中に入っていける。特に堺萌香さんは、所謂演劇的すぎない演技によって等身大の人物として感じられて、私はそんな佳が好きだ。前回ブログでも書いたけど、この作品が好きなのはやはりおいもちゃんのおかげです。

 

 演劇は役者が良いだけでも、脚本が良いだけでも駄目で、全てが良くないといけない。『不本意アンロック』はそのバランスが素晴らしくて、相互に補い合うながら作品を作り上げているように感じる。だけどこれは私がHKT48を好きだからこその、メンバー同士の関係性に重きを置いたバイアスのかかった見方かもしれない。

 

 『不本意アンロック』は何回観ても新しい発見がある。単に私が見逃しているものが多いだけだが、そうやって観る度にどんどん好きになってくる。そしてそれは何かが突出してすごいのではなく、ごりらぐみの劇団としての総合力が最強だからだと思わざるを得ない。こういうHKT最高的な思考になってしまうのは、だんだんと福岡の土地に馴染んできたからかもしれない。残すは週末の4公演だけだけど、公演期間中も成長していく劇団が最後どうなるのか期待しています。