#劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』初日感想

 

ひとりで生きていると思ってた
ひとりで生きていく、と思ってた--

トラブルに巻き込まれ、仕事を辞めた主人公、佳(けい)。
人と関わることに疲れ、
在宅のバイトをしながら動画サイトを
ぼんやり眺める日々を送っていた。

そんなある日、突如現れた謎の人物
“エニシ”は佳に告げる。

「今からあなたには、未来を変えるキーパーソンに
なっていただきます!」

エニシに翻弄され、巻き込まれていく佳。
他人と、自分の人生と。

諦めたものたちに、
もう一度向き合う鍵となるのは

HKT48
ごりらぐみ 第一回公演 『不本意アンロック』

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 ここではがっつりネタバレしています。

 

 HKT48の #劇はじ 劇団ごりらぐみ『不本意アンロック』初日昼公演と夜公演を観ました(『水色アルタイル』は後日観ます)。素晴らしかった。旗揚げ公演としてはこれ以上ないスタートだったのではないかと思う。

 

 始まるまでは不安と緊張で仕方なかった。大好きな豊永阿紀さんが脚本を書くといっても、私と豊永さんの好みはまた違うわけで、豊永さんの脚本が私の口に合うのか不安だった。むしろ演出の下野由貴さんのほうが同じ宝塚好きとしての安心感があった。こういう開演前の緊張感は久しぶりで懐かしくなった。

 

 観ていてまず思ったのが、HKT48を全く意識しなかったことだ。アイドルの舞台を観ているという感覚がなかった。アイドルオタク向けのしょうもないギャグもなかった(アイドル舞台はそういう要らぬサービスをしがちなんですよ)(もしくは古参にしかわからないハイコンテクストなネタばかりだったのかもしれない)。またメンバーは事あるごとに以前出演したコント劇に言及していて、コント劇っぽくならないようにと苦心していたらしいけれど、自分はコント劇を知らないので普通に新鮮に観られた。

 

 私がHKT48を全然知らないだけかもしれないが、ここは〇〇ちゃんぽいよねといった気持ちになることが少なかった(エニシの過去の一言だけでしょうか)。アイドルが出ている舞台は、演劇なのにその役を通して素のアイドルの部分を透かして見てしまいがちで、観劇に対する姿勢が難しい。しかも製作側がそれをわかった上で需要を満たすために当て書きで役を作ったりするから、複雑な共犯関係になってくる。この作品はそのようなアイドル舞台っぽさがなかった(はなちゃんは微妙だけどそこがいい)。普通に下北沢辺りで舞台していそうな雰囲気があり、特に秋吉優花さんの小劇団に一人はいる個性派女優っぽい役作りがやばかった。

 

 何がよかったのかなと思い返してみると、やはり私は堺萌香さんの佳が素晴らしかったからではないかと思う。カーテンを下ろして出前館を頼み、およそ太陽が好きそうではない佳の暮らし。単純に私だけの印象かもしれないけれど一人だけ顔色もよくない。佳は主人公ということもありディテールが細かい。そしてこれは脚本に依るものだろうけれど、佳がこの場だけの人物ではなく、これまでの人生があって今ここに佳がいることに実感があった。そんな人物においもちゃんがぴったりとフィットしていた。人に頼るのが苦手で躊躇うことの多い佳は私にも重なる部分が多く、だからこそ佳を親身になって観られたのかもしれない。佳が自分に近しいと思えたことがこの作品を好きになれたいちばんの理由だろう(あと佳のお母さんの声がずるい)。

 

 予告を見た段階では、はなちゃんのはなちゃんにしか見えない演技に、私はにやけた笑顔になるのを耐えられるか心配だったけれど、いざ始まったら画面の中にいたのはエニシで、はなちゃんでもドラえもんでもなくてエニシだった。

 

 最後は親に本当のことを打ち明け、部屋の外へと出ていった佳の心をアンロックしたのはあのzoomの画面を共有した人との縁だったが、その縁が確かな縁となるべく人の形となって手を差し伸べたのがエニシだったのだろう。そのエニシが笑顔の眩しいはなちゃんというのが象徴的で、最終的にやっぱりはなちゃんだからこそのエニシだったのではという感想になってしまって、これではアイドルオタク的な観劇ですね…。あとどうしてもアンロックというと『しゅごキャラ!』を思い出してしまいます…。黄身Tubeとか生卵とかはやっぱり『しゅごキャラ!』なんでしょうか…(これを観た後にBuono!の動画を見て再び胸いっぱいになった…)。

 

 印象に残っているのはニュートンのリンゴの話で、これは全編を通したテーマでもあるのだけど、去年の年末辺りの豊永さんは、誰かのどうでもいいさりげない言葉に救われたと何度か言っていて、確かにと、そのとき深く頷いて記憶に残っていたのでハッとしてしまった。本当に、勝手に救われるしかないんですよ。

 

 

 

 ツイッターの感想をチラ見した感じでは伏線回収がすごいというのが結構あって、ばらばらのピースがぴたりとハマっていく流れは自分も観ていて快感だった。確かに伏線回収は気持ちいい。しかし最近の私としては、伏線回収すれば素晴らしいという評価に懐疑心を持っているので複雑でもある。でもエンタメとしては大正解だと思うので全く問題ないです(どこから目線?)。脚本すごいわ。豊永さんすごいです。キーワードで思わせぶりな雰囲気を漂わせるのは豊永さんらしいなと思うし、その種明かしを単純だと自らツッコミを忘れないのも豊永さんらしい(と思えるほど私は知っているのかという疑いはある)。

 

 これが演劇なのかと言われると私はわからない。全然場所が違うシーンが入ったり演劇というより映像作品の趣がある。カメラの向こうで生で演じているとわかっていても、それは客側が信じるしかない(疑り深くてすみません)。自分にとって演劇は、窮屈でお尻が痛くなる席に拘束されながら観て、素直に感動するものもあれば、よくわからないけど目の前の演技の迫力だけで感動するものもあり、それらを全てひっくるめた体験が演劇だと思っていて、オンライン演劇はそのような体験とは別物に思える。これはこれで素晴らしいけど、やはり生の舞台で観たい気持ちが強い。

 

 想像していた以上にあっという間の時間だった。昼より夜のほうが解像度高く観られて、昼はコメント欄なし、夜はコメント欄ありで観たけれど、どちらでも面白かった。こういう例え方は喜ばれないかもだけど、藤子SFと細田守を混ぜたインクをインターネットどっぷりの豊永さんのペンに乗せて書いたような作品だった。

 

 私は素晴らしいものに触れた後の帰り道が大好きで、そのようなときは余韻を胸の内で何度も反芻しながらいつもよりもゆっくり歩いて帰るのだけど、家で観ていると帰り道がそもそもない。なので居ても立ってもいられず、昼公演を観た後に家を出て公園を散歩した。夕日にきらめく大濠公園は人で賑わっていて、ここにいる人達もいろいろな繋がりを経て今があるのだろうなと、まるで今新発見したかのように気付いて、自分にも見えない縁があったりするのかなと考えた。素晴らしい作品をありがとうございました。無事に千穐楽を迎えられることを祈ってます。

 

 

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