『不可逆の青』で分かれ撚り合う豊永阿紀さん

 豊永阿紀さんの短編脚本『不可逆の青』を読みました。#劇はじ の脚本担当が決まってから課題として書いたらしい。大学を目指す高校3年生の青春の一瞬を描いた短編だ。

 

 

 

 最初は読めなかった。豊永さんの胸の内を覗いているようで恥ずかしかった。表面をなでるように、心がざわつかないように読んだ。それから時を置いて読んだ。大袈裟かもしれないけれど覚悟を持って。

 

 完全に勘違いしていたことだけれど、初回に斜め読みしていた私は登場人物のひとりである望を男性だと思い込んでいた。恋愛関係にある男女とそれを見守る親友の話だと読み違えていた。丁寧に読み返して、こちらが恥ずかしくなるほど単純な間違いに気付いた。豊永さんごめんなさい。

 

 いつかの配信で豊永さんが言っていた通り、登場人物3人は彼女の3つの分身かもしれない。3つに分かれた人格が撚り合わさってひとつの物語になっている。再構成された豊永さんが新しい物語を見せてくれている。アイドルの作ったものに対して、ファンはどうしてもその中にアイドルを見出してしまう。

 

 自分達の関係性に満ち足りていて一歩引いている豊永さんに、親友を信頼しきっている豊永さん、手探りでも未来に手を伸ばそうとする豊永さん。3人の過去に豊永さんの影が映り、3人の未来に豊永さんのあり得るともあり得ないともいえる未来が映し出される。彼女達が織りなす夏のつむじ風は、いつかの豊永さんの迷いのようでもあり、しかしそれは思い過ごしかもしれない。

 

 その薄く透けて見える豊永さんは夏の陽炎のように朧げだ。冬に思い出す夏がいちばん美しいとはよく言ったものだけれど、私は見えた。遠い夏の豊永さんが見えた。パピコにパルムに揺れるブランコ、蝉の声。

 

 とここまで書いたところで、登場人物が5人に増えたオンライン演劇バージョンの『不可逆の青』と豊永さんのブログがアップされた。

 

 

 

 

ameblo.jp

 

 動画を観て、自分は文章のほうが好きだと気付いた。オンライン演劇になって、好きな要素のひとつであった夏の季節感が消えていた。扇風機が見えたけど、これで夏ということなのだろうか。オンライン演劇は基本部屋でWebカメラを前にして演じられるものだから、季節の感覚が希薄になることに改めて気付いた。

 

 劇そのものに入り込むより前に、いくつもの顔が並ぶ画面は今までの演劇体験とは違っていて、果たして自分は #劇はじ を興味を持って観れるのかと不安になってきた。オンライン演劇は演劇を期待して観るよりも、限りなく演劇に近い朗読劇なのかもしれない。

 

 それでも実際に演じられると、文字だけの世界にはない立体的な感触があった。豊永さんのタイピングの一打一打で削られ丸められ整えられた台詞が演者によって生が宿ると、また新しい輪郭が生まれる。観ている画面は平面であるのに、文章だけで作品に触れていた身からすると、それでも立体感、人が演じることの手触りがあった。水帆が秋吉優花さんというのはHKT新参の私にもしっくりきた。3人バージョンだと何か言いたくても言えない言葉が行間に隠れているのではないだろうかと考え過ぎてしまったけど、5人バージョンを観るとその過不足がないように感じられて、これが演技の力なのだろう。

 

 という感じで、初めてオンライン演劇を短編ながら観たのだけど、不安もありつつもやっぱり #劇はじ は楽しみな期待が大きい。『不本意アンロック』も『不可逆の青』と表裏をなすように、いくつもの豊永さんが物語を紡ぎ出すのだろうか。まずは初日を待ちます。