2021年11月

 11月になりました。ついこのあいだ夏が終わったと思ったらもう11月ということに驚きます。スタバでも毎年恒例のジンジャーブレッドラテが飲める季節となりました。鈴の音が聞こえる日も近づいてきています。

 

 先週末は衆議院議員選挙がありました。私も投票に行きました。自分の周囲は投票率150%ぐらいで全員投票している感じでしたが、現実は有権者の約半分しか投票していなくて、自分の交友関係やSNSでフォローしている人達が、自分と似通った行動をしている人々で構成されていることを改めて実感しました(それは主義主張が同じという意味ではなく、投票には行くぐらいの政治への参加意思があるという意味で)。

 

 SNSではよくある現象です。しかしそれでも以前とは変わったなと思う点があります。これまで私の観測範囲での政治への言及は知り合いだったり普段から政治的なアカウントだけでした(政治的の意味も考えないといけませんが)。それがここにきてただ単に私が好きでフォローしているアイドルやモデル、女優のアカウントからも投票に行くことを呼びかけたり投票したことを公表する投稿が増えた感触があります。この辺りは秋元才加さんや和田彩花さんなどの影響が大きいと思います。

 

 もちろんこれもフィルターバブルです。政治に関心を持つ有名人を選んで私がフォローしている可能性があります。投票したことをわざわざ表明する少数派のコミュニティに自分は属しているだけかもしれません。私の周りは投票したことを公にしがちなので(どこに投票したかは置いといて)、その公表すべきな雰囲気もどうなのかなと思いますが。

 

 今は一部ですが若者が政治を変えていこうと行動していることに、それは困難なことだけど希望を感じます(これも観測範囲の問題でしょうが)。調査によると若い人ほど保守的だそうで、若年層の投票率が上がると、もしかすると私の望む社会とは異なる未来が待っているかもしれませんが、それでも投票率が上がるのは良いことだと思います。

 

 先日の衆議院議員選挙の投票日当日、これから誰かと会うのかお洒落した若者が投票所で私の前に並んでいました。何か予定があったとしても、その前に投票だけはしておこうという意思を感じて頼もしさを感じました(どこから目線?)。

 

 私なんか若い頃は投票も行ったり行かなかったりで、あまり選挙に関心はありませんでした。欠かさず投票するようになったのは30歳を過ぎてからです。若い時の政治への無関心は自分もそうだったので、今の若者に投票に行こうと声高に言えない。そんな自分なので、好きなアイドル達が投票したことを公表するのは、自らを省みてすごいことだなと尊敬の念しかありません。

 

 一気に社会が変わるわけではないし、地道な努力の積み重ねです。前回前々回の選挙よりも投票率が上がったことを希望と捉えることとして、選挙の期間だけでなく普段の生活から今よりも生きやすい社会を目指すことが大切ですね。

福岡で暮らし始めて1年

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 福岡で暮らし始めて1年が経ちました。いろんなことがあったけど過ぎてみればあっという間。いちばんの驚きはまだアイドルオタクを続けていることです。まさかHKT48にハマるとは移住前は想像していませんでした。そんな福岡に住んで1年経ったタイミングで豊永阿紀さんが出演された舞台『しゃーSHE♀彼女』を観て考えてしまいました。この作品はタイトルにも方言が使われている通り、舞台上では博多弁が発せられる場面が多いです(博多弁で合ってますよね!?)。その博多弁が未だにハッとするほど新鮮に聞こえてきて、もちろん福岡は自分が生まれ育った土地ではないので当然ですが、ちょっと住んだぐらいでは全然まだ余所者だと突きつけられた感じです。自分の普段の生活があまり博多弁と接しない生活なのもあるけれど、舞台から聞こえてくる博多弁に戸惑ってしまって、まだ福岡に馴染めてないのだなと実感しました。地元を離れて東京に住んでいた時は、自分を殊更に東京生まれの人と違うと意識することはなかったし、様々な土地からやってきた人が集まった大都市というのが東京のイメージだったので、街からの疎外感は希薄でした(だからこそ皆が東京を生きやすいと思うのでしょうが)。疎外感というほどのものではないけれど、福岡はやはり東京とは違いますね。もっと福岡に馴染むように頑張ろうと思った福岡2年目の始まりです。

『したたか女』についてずっと考えている

kiyc.hateblo.jp

 

 

 先週久しぶりにブログを書いて、自分で書いておきながら、創作物での髪色によるカテゴライズはこじつけに近いなと自己嫌悪気味になってしまった。自分で信じてもいないことを、舞台を観ている間だけは信じて観るように自分を仕向ける。それは簡単だけど、こうやって後で文章に残すと負の記録のような気がして釈然としません。

 

 どうして自分の思考(信念というほど確固としたものではないけれど)と、作品の見方にズレが出てしまうのか。それは作品の根底を成す意識が今の世の中の流れとはズレているからではと私は思います。

 

 この一週間私は『したたか女』についてずっと考えていました。どうして面倒くさい女性の話が女同士の争いになってしまったのだろうか(『しゃーSHE♀彼女』には女同士の争いでない話もありますが)。どうして彼女達は争わなければならなかったのか。男の浮気に対して、友人同士であったために彼らは友情を取るか男を取るかの選択を迫られてしまった。男を選んだ彼らは、結局男に振り回されてしまっています。もし彼女らが見ず知らずの他人だったら、戦うべき相手が男になっていたかもしれない。それでも男を取っていたかもしれませんが。

 

 別にシスターフッド的な連帯を見たかったとかそういうわけでもないけれど、描き方に古さを感じてしまって、今は2021年なんだけどなとしんみりしてしまった。もちろん自分の古い感覚もアップデートされているかは心許ないです(このアップデートという単語も最近は使われ過ぎて疑いを持たれてますが)。それでも誰もが生きやすい社会を目指そうと努めたい気持ちはあるし、そのような社会を目指す流れに賛同しています。その潮流を意識している中で、女性達が男を取り合うもしくは男に振り回される女性達、といった旧態依然のストーリーを持ち出されるとうーん…今見たいのはこれじゃないとなってしまいます。

 

 まあ愚痴ですねはい。何か自分は見落としているのだろうか。もっと違う見方があれば知りたいです。

豊永阿紀さんの新しい髪色がもたらす演出効果と偏ったイメージの炙り出し

 公演は終わりましたが一応書いておくとネタバレしています。

 

www.syaashe-kanojyo.com

 

 

 福岡市唐人町商店街の甘棠館Show劇場で10月7日から10日にかけて上演された舞台『しゃーSHE♀彼女』を観ました。しゃーしい、福岡の方言で面倒くさいを意味する言葉がタイトルに掲げられた本作は、恋愛をメインに様々な場面でのしゃーしい女性が巻き起こす騒動を描いた演劇作品です。オムニバス形式となっていて、しゃーしい女性が出てくる相互に話の関連はない小品が8本まとめて上演されます。

 

 舞台の話に入る前に、遡って先月のある出来事について書かなければなりません。この作品に出演するHKT48豊永阿紀さんがこれまでの黒髪から髪をオレンジ色に染めたのです。その時のブログを読むと、初めて髪を染めたとのこと。きっかけのひとつとして「上演される舞台への準備を機に」と書かれており、ブログを読んだ当時、これは気持ちの問題で心機一転ぐらいの感覚なのだろうと想像していました(しかし今読み返すとブログ後半では「仕事で必要性を感じたとき」とも書かれてますね)。10月になり、舞台を観た現在は、この作品において豊永さんの髪色はかなり重要ではないかと考えています(私は豊永さんの出るBチームの公演を観ました)。

 

ameblo.jp

 

 

 それは最後の演目においてでした。オムニバス形式の本作品の最後を締めくくるのは女性5人組の話『したたか女』です。この話は5人グループのある女性の彼氏がグループ内の他の女性と浮気しまくり、それによって生じるヒリヒリした人間関係を描いています。まあ大概男も悪い。

 

 話が始まってまず気付いたのは、舞台上にいる5人の女性のうち4人が黒髪ということです(舞台上に男は出ません)。20代ぐらいの女性が5人集まって、その中の4人もが黒髪というのはどのような関係の集まりなのだろうかと疑問が湧きます。若い人は誰しも髪を染めるものと考えるのは短絡的かもしれませんが、それにしてもこのグループを見た時の第一印象はなんか地味でした。そこに唯一の派手な髪色としての登場人物、豊永阿紀さん演じるちひろがいます。ぱっと見、グループ内では完全にチャラい女の役割を任されています(豊永さんがいるから黒髪も目立つということもあると思います)。

 

 話が進むとやはりといった感じで、グループの女性(中山理愛さん)の彼氏がちひろと浮気していることが発覚します。あからさまに派手な女が派手な交友関係を繰り広げています。

 

 途中の流れを飛ばして結末をネタバレすると、友人の彼氏と寝ていたちひろもやばいが、それまでずっと傍観者だった山津彩花さん演じるともよも同様に同じ男と浮気していて、その場はそれこそしたたかに隠し通せると思っていたが最後の最後でさらにしたたかな女にバレる形で終わります(この最後にバレる女性は私が観た中で1回だけ違う人でしたが基本的にともよがバレる)。

 

 彼氏のLINEを覗き見て、ちひろとの浮気を発見した人間が他の女との浮気も見逃すはずはないので、まずちひろを告発したのは、そうすればともよもボロを出すはずだと想定してのことで、結構怖い最後の流れはやはり計画的に仕組んだものでしょう。

 

 髪色に注目して『したたか女』をまとめると、髪の色が派手な女性だから行動も派手なわけではなく、黒髪だろうがなんだろうがやばい奴はやばい、となります(ついやばいと書いてしまいましたがこの舞台はしゃーしいよりもやばい怖いのほうが先に来るのは私が福岡出身ではないから?)。今時髪の色で人を判断するほど鈍感な人はいないかと思いますが、それでも髪の色にただの色以上の意味を持たせているコミュニティは多いと思われ、私もそのひとつ(アイドル)に属しています。本作はそのようなコミュニティに由来する思い込みを利用して、(少なくとも私に関しては)オチの意外性を高めています。

 

 では私にはどのような思い込みがあったのか。それは黒髪に託された清純なイメージです。とはいっても実際にそんなイメージは信じていませんが、そういうイメージが今も存在すると認識していますし、時と場合によってはそのイメージを信じる体で向き合うこともあるぐらいの距離感です。

 

 一般社会や他のカルチャージャンルはともかくとして、アイドルというジャンルはとかく黒髪にこだわる人がアイドル側(運営も含む)にもファン側にも多い気がします(48系だけ?)。NMB48が『絶滅黒髪少女』というストレートな黒髪テーマの曲を歌ったように、黒髪に対して強い幻想が存在します(今はどうなんでしょうか)。黒髪は清純であるといったイメージ(ここでいう清純とは性格が擦れていないぐらいの定義です)は、裏を返せば髪を染めたら大人になったという意味です(アイドル黒髪問題はだいたいが年齢の問題です)。この初めて髪を染めるタイミングに、アイドルオタクは大変厳しいと私は感じます。好きなようにすればいいじゃない。整形とどこが違うのよ(ここで価値観の戦争が起こる)。

 

 このような黒髪に意味を持たせすぎたジャンルでオタクをやっていると、最終的に黒髪は単なる記号に見えてきます。そのような視点で『したたか女』を観ると、5人のうちの黒髪4人は清純な人間、つまりしゃーしい女性には分類されません。実際黒髪清純イメージに拘りがない自分でも、この場面でこの配役を見せられると、髪の色に意味を持たせた見方が自然なのではないかと思ってしまいます。そのアイドルオタク的に偏った見方で舞台を観る人に対して、その偏見を炙り出し逆手に取って、人は見かけじゃないよと諫めるのが本作の面白さです。

 

 また豊永阿紀さん演じるちひろの捨て台詞がかなりエグいので、観客はここがクライマックスだと勘違いしてしまうのも、最後の大ネタのぶっ込み具合に相乗効果を与えています。ラスボスのともよも、男に関して過去にしがみついていると受け取れる台詞を言っていて、これも注意を逸らす意味で有効でした。ともよ役の山津彩花さんの前に出過ぎない演技も複数回観るとさすがだなと思えてきます。

 

 最後に。劇中の役に対して派手な女呼ばわりしてしまった豊永阿紀さんですが、私は今の豊永さんも大好きです。これを書きながらも、自分の力量不足で今の豊永さんの髪色を批判しているように読み取られるのではないかと不安です。結局ちひろは、見た目はギャルだけど実はいい奴、というよくあるタイプでもなさそうですしね。明るい髪色の豊永さんは好きですが、ちひろは批判的に観ることをうまく伝えるのが難しい。

 

 豊永さんの魅力は自分自身を好きでいるために変化していくことを躊躇わないところだと思うので、秋の夕焼け色のような今の豊永さんも大好きです。これからも自身の信じる方向へ突き進んでいってほしい。ただ私が思う他の魅力のひとつに、豊永さんは秘密を抱えることを美しいと信じているような部分があります。それが今回の作品の悪女のような役にうまくハマったのではないかと感じて、役者と演じる役は別人だと思っていてもなんだか複雑です。

 

 以上のように、『したたか女』において豊永阿紀さんの新しい髪色がアイドルオタク的観客の思い込みを誘発し、その思い込みを逆手に取った結末とすることで作品に単なる驚きのオチ以上の面白さを与えたと言えます。この舞台に関して、豊永さんが髪を染めたのは成功だったと思います。そして舞台関係なく、豊永さんが髪を染めたことは、変化を恐れない意思を示すこれ以上ない証となって彼女だけの光を発しています。それはとても幸福で、私は眩しさで目を細めます。

 

 

 

ameblo.jp

2021年に『わたしの星』を観ること

 『わたしの星』という舞台があります。ままごとという劇団がバックアップし、オーディションで選ばれた高校生が演じる作品です。初演は20148月。三鷹市芸術文化センター星のホールで上演されました。この『わたしの星』が私は大大大好きなのですが、この度配信サービスで観れるようになりました。ありがとう!! うれしい!!(ちなみに昔NHK BSでも放送されました)

 

 

mamagoto.org

 

 

拝啓 Spica
お元気ですか。新しい星の生活には慣れましたか。
あなたがこの星を発ってから、こっちはずっと夏のまま。
星空を見るとつい、あなたを探してしまいます。
星に引力があるように、人にも引力がある。
わたし、あなたのことが大好きで、大嫌いでした。
この手紙が届くころ、あなたは夜空のどこにいるでしょう。
たとえ、どれだけ離れても、あなたはずっとわたしの星。

mamagoto.org

 

 

 『わたしの星』は同じままごとの『わが星』をベースにした作品なので『わが星』の説明も必要ですね。ままごと『わが星』は2009年初演、第54岸田國士戯曲賞を受賞した作品です。

 

mamagoto.org

www.youtube.com

 

 

 人の一生と星の一生を重ね合わせ、ラップとダンスでリズムよく畳み掛けてくる、演劇というよりミュージカルといった作品です。今回『わが星』も同時に配信開始されました(2015年の再々演ですが)。

 

 この『わが星』を高校生のため、高校演劇用に作り直したのが『わたしの星』です。作り直したといっても『わが星』と『わたしの星』は全く別の作品となっています。両作品とも戯曲が公開されているので興味ある人は読んでみてください。『わたしの星』は高校生向けに作られたこともあって、実際にいくつもの高校でこの戯曲を使って『わたしの星』が上演されています。

 

mamagoto.org

 

 

 ままごとでも『わたしの星』は何回か再演しています。今回配信開始された初演が2014三鷹、次が2017三鷹2018年台湾、2019年大阪と4回上演されています。公演自体は2019年を最後に(ままごととしては)やってないですが、今年公開された映画『花束みたいな恋をした』で『わたしの星』が出てきて、一部界隈で盛り上がってました。私も三鷹星のホールで絶対に絹さんとすれ違っていた。

 

 まあ自分なんかが長々と述べるよりも、わかりやすく魅力を伝えるものとして、まず作品のビジュアルを見てください。『わたしの星』は写真家の濱田英明氏がビジュアル撮影を担当しています。以下のリンク先や『わたしの星』などで検索すると見つかるので見ていただきたいんですが、本当に素晴らしい。世界観を静かに、しかし確実に伝えるこれらの写真あってこその『わたしの星』です。写真の雰囲気が好きなら舞台も楽しめると思います。

 

2014年はいい感じの写真まとめが見つかりませんでした…。

 

 

2017年

natalie.mu

 

 

2019年

twitter.com

 

 

 『わたしの星』の舞台は遠い未来の地球。人類のほとんどが火星に移住し、地球の滅亡がカウントダウンされている世界です。ずっと夏が続く地球の、文化祭を控えたある高校で、生徒の一人であるスピカが火星に行ってしまうことを巡る夏の物語です。近づいたり離れたり、人と人の関係を星座のように繋いで描き出します。台湾版は観てないので詳しい内容はわからないのですが、日本での公演は話の大枠こそ同じでも細部は公演毎に異なっていて、ほぼ別の作品となっています。

 

 夏の物語です。冒頭から蝉の鳴き声が響きます。エヴァの世界と同じく、こちらの世界もずっと夏。その中で高校生達が精一杯生きます。

 

 この舞台はオーディションで選ばれた高校生が演じます。参加資格に高校生であることが明記されており、高校生が高校生を演じることが重要となっています。おそらく現実でも将来に悩む年代の出演者達が、舞台の上でも自分達の未来について考え悩みます。

 

 出演者は春頃から少しずつ稽古していきます。脚本の柴幸男氏は、ワークショップや稽古など皆で顔を合わせる時間を通して、演者の性格などを汲みとって台本に反映させています。最初から脚本家の頭の中に完成された台本があるわけではなく、高校生達と一緒に作っていく感じです。つまりあてがきなのですが、実際に演じられる舞台を観ると、演者に近しい台本によって様々な見方が生まれます。

 

 好きすぎて毎回何回も通い続けた『わたしの星』ですが、私から見えた『わたしの星』は、ひと夏の高校生の青春でした。

 

 この作品のために全国から集まった高校生は(スタッフにも高校生がいます)、公演に向けて一致団結し、全ての公演が終わったら解散します。三鷹に集まり、夏の輝く星々となった彼らは、やがてそれぞれの高校生活に戻る。夏の終わりと舞台の終わりがシンクロし、とてつもなくエモーショナルな場が出現します。この振り返ると刹那としか言いようがない時間は、まさに青春です。

 

 単純に舞台としても面白いのですが、この背景を知っているとさらに作品が深く楽しめると思います(このようなコンテキスト重視の見方がオタクっぽいのは自覚してます)。公演を観続けると(普通は何回も観ない)、一緒に泣き笑いしている高校生達も千穐楽が終わったらみんな散り散りになってしまうのかと想像してしまい、夏よ終わらないでくれと祈りたくなってしまいます。

 

 観続けているとわかってくるのは、彼らがかなり意識的に青春しているということです。青春というと、その時期がとうに過ぎ去った大人が押し付けがましく言う印象を抱きがちですが、この情報に溢れた現在では若い当人達もその点に自覚的です。若者と大人が相互フィードバックしあって青春の強度を強めているのが今といえます(この分け方も雑ですが)。この大人が作る青春イメージに若者が乗っかって、さらにそれに大人がエモくなって、といったループが苦手な人もいると思います(例えばアイドルとか清涼飲料水のCMとかですね)。

 

 ただ『わたしの星』は、その自覚的な青春に嫌味がない(推し補正?)。少なくとも私には、この作品と作品を巡る高校生達の人生は眩しいほどにキラキラしていました。それは演劇というフォーマットでリアルに対面しているからこそ伝わるものなのかもしれません(だとすると配信で観た場合は?)。ありきたりな表現でしか言えないのですが本当にキラキラしているんですよね。

 

 しかし作り手側の大人も、こうも単純に高校生の青春を提示するだけでいいのかと疑い始めたようで、2019年の大阪公演では安易に感動させないようなストーリーとなっていました。同年代が観るならともかく、大人が若者の青春に触れることに対しての自制がありました。2019年版だけはDVDも出ているので観れる機会がある人は観てほしいです。

 

 『わたしの星』の魅力がどこまで伝わったかわからないですが、配信開始されたこの機会に是非観てほしいです。特に若い人に。これは未来の話であっても、画面に映るのは2014年という過去の時間で、当時と全く状況が違うコロナ禍の今の若い人達に何が伝わるかはわからない。それでも久しぶりに観た私は、時間が経っても風化しない普遍的な光を感じました。今観ても素晴らしかった。夏の終わりに相応しい作品です。1週間の視聴期間で550円。サブスクでも観れます。観て何か感じ取ってくれたら幸いです。

 

 

v2.kan-geki.com

theater-complex.jp

 

 

 『わたしの星』は高校生スタッフがずっと稽古記録をつけていて、いくつか公開もされているので興味があったら見てみてください。HKT48の劇はじもこういう稽古記録を見たかったな。

 

2017年の稽古記録

myplanet2017.amebaownd.com

 

2017年のインスタグラム

https://www.instagram.com/myplanet_mamagoto/

 

2019年の稽古記録

読売テレビプロデュース『わたしの星』

 

2019年のインスタグラム

https://www.instagram.com/watahoshi2019/

 

 

当時の自分の感想もついでに載せておきます(ネタバレ&長文注意)。

 

yuribossa.hatenablog.com

yuribossa.hatenablog.com

note.com

 

8月の現状

 残暑お見舞い申し上げます。毎年のことですが、8月は「8月の現状」という日記を書きたくなります。私は博多まで出るのを躊躇していたらFishmansの映画は見逃しました。8月は何をしているのかというと、普通に仕事して休みの日はぼーっとしている感じ。HKT48のメンバー数名が新型コロナに感染してHKTの現場が全て無くなったので自分の予定も無くなった8月。デルタ株は感染力が強いらしいですし、こればかりは仕方ない。今はしっかりと回復に専念してほしいです。

 

 

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 8月というのに雨続きで、夏らしい青空が見えない日々に憂鬱になってきます。しかし晴れたら晴れたで暑いと愚痴ってしまうので人間とはいい加減なもの。天気も悪いしコロナの不安もあるので外出することが減りました(仕事はリモートワーク)。なのでたまに人の多いところに出かけると緊張してしまいます。

 

 コロナに感染する心配は常にあるけれど、ちゃんと対策をしていたのに感染してしまったら、これはもう仕方ないなと諦めてしまいます。しかし自分は対策していても避けられない周囲の行動によって感染してしまったら後悔してしまう気がする。ちょっと前に久しぶりに外食したんですが、近くのテーブルでノーマスクで会話している男性二人組がいて、しかもこちらに聞こえるぐらい大きな声で喋っていて、そのリテラシーの無さに苛々してしまい、食べ終えたらすぐにお店を出ました。そこで思ったわけです。他人に苛々するぐらいなら自分も外出しなければいいのにと。とはいっても生きるためには人と関わっていかなければいけません。

 

 最近はコロナに感染する不安よりも他人の行動に対するストレスのほうが大きいことに我ながら驚いています(どちらにしろ感染の不安が根底にあるのですが)。接する人が自分と同じぐらいのリテラシーなら安心できます。しかし自分だって必ずしもリテラシーが高いとは言えないので、私より厳しく警戒している人からしたら私も誰かを苛つかせているのかもしれません。皆誰かを傷つけているし、どこまで許せるかの程度の問題です。

 

 コロナのことばかり書いても憂鬱になるので別のことを書きます。私の大好きな舞台、ままごとの『わたしの星』がついに配信開始されました。配信されるのは2014年の初演です。早速私も見ました。今見ても素晴らしかった。色褪せない輝きがありました。三鷹の夏を思い出します。配信されたことをきっかけにたくさんの人に見てほしいです(特に若い人に)。

 

 今年の夏は去年以上に何もしていない気がします。今は雨続きでも夏はまだ終わらないと信じているので、何かひとつでも夏の思い出を作りたいですね。それでは、ままならない日々が続きますが、お身体には気をつけてお過ごしください(これは日記なの?)。

 

 

 

v2.kan-geki.com

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豊永阿紀さんと #1047camera の眼差しについて

 HKT48豊永阿紀さんの撮る写真、通称 #1047camera が好きです。もともと私は豊永さんをインスタグラムきっかけで知ったこともあり(たぶんおそらく)、アイドル的な活動やステージパフォーマンスを知るよりも前に、写真やそこに添えられた文章を好きになり興味を持ちました。遠くから豊永さんを見ていた自分が去年から急速に好きであることを意識し始めて、それまでも好きだった豊永さんの写真をさらに好きになりました。

 

 

 

 #1047camera のどこが好きなのか。それは豊永さんのアイドルパフォーマンスにも通じる迷いの無さです。シャッターを切るのに躊躇がないように見える。私なんか迷いに迷ってシャッターチャンスを逃してしまうことが多々あるのですが、豊永さんの写真からは切れ味の鋭いシャッター音が聞こえてくるかのような思い切りのよさが感じられます。いやいや、私だって迷うときはありますよ、と言われそうだけど、少なくとも私にはそう受け取れる。そこに私は羨ましさ混じりの爽快感を抱きます。

 

 そしてその豊永さんの迷いの無さは、撮る瞬間だけでなく、何を見せるか、公開非公開の選択まで一貫していると私は思います。ピントが合ってなくても露出が足りなくても、これが私に見えている世界として、赤裸々に出してくるのが私は好きです。生きていれば完璧な一瞬ばかりではないと言わんばかりに、ブレてても暗くてもそれが私と肯定しているようで、その強さに惹かれます。まあ、ただ単に好きな人の言葉はなんでも詩に見えるように、好きな人の写真はなんでも光り輝いてるように見えるだけかもしれませんが

 

 

 
 
 
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 と思っていましたが、探してみると意外とブレている写真は少なかったですね(上に挙げた以外にもあります)。しかし豊永さんの過去のインスタを掘っている過程で、私の知らなかった豊永さんを見つけてしまいました。それは2018年の総選挙のポスターです。そのポスターに書かれていたコピー、それは「もう、迷わない。」。私は豊永さんに迷いの無さを感じているのに、過去の豊永さんはそこをどうにかしたいと決意していたことに少し驚いてしまいました。彼女のこの性格は生まれながらだと思っていたからです。これは豊永さんが本当に変わったのか、それとも推しを美化しがちな私の受け取り方のずれなのか、実際のところわかりません。これは本人に聞いてみたい(それともブログとかに書かれていたりするのかな)。

 

 
 
 
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 またもうひとつの、そして豊永さんの写真の最大の魅力に、写真を撮るのが好きでなおかつアイドルでもあるところが挙げられます。写真を撮るのが好きな人は世の中たくさんいますし、アイドルも大勢いますが、その双方を兼ねる人はなかなか多くはない。しかも豊永さんは、アイドルグループのメンバーが近しいメンバーを撮る行為を超えて、アイドルでありつつカメラマンとして撮っているので(その気概を感じる)、写真に単純な親しさ以上のものが表れていると私は感じます。

 

 

 

 

 

 人を最も美しく撮れるのは恋人だとよく言われるように、関係性が良い写真を撮るには大切です(それには同意しますが、本当に関係性に頼る写真が良いのか疑ってもいます)。その点、豊永さんはHKTメンバーから圧倒的に信頼を得ているので、自然な柔らかい表情のメンバーをよく捉えています。ファンには絶対に見ることが叶わないHKTメンバーがそこには写されていて、軽い嫉妬すら覚えます。それでいて関係性に頼りすぎない冷静な視線もあって、その絶妙なバランスが好きです(もしくは関係性を信頼しているから冷静になれるという見方もあります)。

 

 
 
 
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 後方の離れたところから背中を撮った写真は彼女のカメラマンとしての視線がよく感じられて私は好きです。自分も親しい人の背中をよく撮るのですが、背中を撮りたくなる気持ちはわかる気がします。皆で歩いているときに、ひとり歩みを止めてそっとカメラを背中に向ける。バレないように息を潜める緊張感とちょっとだけ世界から仲間外れになった寂しさを豊永さんも感じたりするのでしょうか。

 

 
 
 
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 さらに豊永さんは自然体のHKTメンバーだけでなく、真剣な姿も写真に収めるのが上手くて、豊永さんが撮るHKT48のライブ写真も私は大好きです。アイドルが見せてくれる景色の中で特に好きなひとつに、アイドルがステージ横や舞台裏の暗がりから明るいステージを一心に見つめるというのがあります。それは通常ならライブのメイキングなどでしか見れない場面なんですが、一途にステージを見つめているアイドルの緊張だったり憧れだったり羨望だったりを感じる時、その切実な感情がいつかステージで燃えるように輝くのだろうと想像してグッときてしまいます。その眼差しに近いものが豊永さんの写真にも感じ取れます。豊永さんの撮るステージ上のHKTメンバーの後ろ姿や横顔に、ただ綺麗なものを撮るだけではない彼女の複雑な感情を私は想像してしまいます。

 

 
 
 
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 長々と書きましたが、豊永さんにしかない視線で新しい世界を見せてくれる #1047camera が好きです。特にHKT48に関しては、私が見るHKTと豊永さんが内部から見るHKTはやはり違っていて、その差異を #1047camera で鮮やかに写し出して私に新鮮な美しさを伝えてくれるので、本当に豊永さんがHKT48に入ってくれたのは幸いだったなと思います。いつだったか豊永さんは写真集を作りたいと言っていて、それがHKTに関連するのかしないのかはわかりませんが、私も豊永さんならどんな写真集を作るのかとても気になるので、どうにかならないかなと思っています。

 

 豊永さんはこれからもずっと撮り続けるでしょうが、そんな豊永さんを見ていると自分も撮りたい意欲が湧いてきます。人でも風景でも自分の外側にレンズを向けることに以前より勇気が要るようになって、なかなか撮影のモチベーションが上がらなかったのですが、豊永さんに背中を押されてどんどん撮っていこうという気持ちになっています。フィルムもまとめ買いしました。撮るというと自分も豊永さんを撮りたいですが、それよりも豊永さんに撮ってほしい。いつかそんな機会が訪れることを願いながら自分もシャッターを切り続けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

追記

豊永さんの写真とシンクロしてる私の写真を見つけたのでご査収ください。

 
 
 
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