17歳の甲斐心愛さんに寄せて

誕生日は過ぎてしまいましたが甲斐心愛さん17歳おめでとうございます。セブンティーン、意味を持たせようと思えばいくらでも持たせることの出来るこの7文字。でもそれはこちらの願望の押しつけでしかないわけで、心愛さんは心愛さんのままで、心愛さんの思うように生きていってほしいと願っています。

16歳の1年間も様々な出来事があって、笑ったり泣いたり落ち込んだり、様々な心愛さんに出会った。毎日少しずつ成長している心愛さんは常に変わり続け、見る度に彼女を見上げる視線が高くなっていくように感じる。

私にとってこの1年間の心愛さんは、とにかく毎日showroom配信を頑張っていてすごいことに尽きる。もう200日以上続いている。毎日続けられるのは本当にすごい。早朝の眠そうな心愛さんをこちらも寝ぼけ眼で見て、憂鬱な1日を頑張ろうと励まされたことが何度あったことか。だからといって勉強を疎かにするわけでもなく、仕事も学校も両立させていて本当に尊敬する。

17歳の心愛さんを、ステージで歌い踊っている心愛さんを、早く生で見たい。私はやはりステージに立っている心愛さんが最も好きなので、武道館が楽しみだ。showroomで泣きながら自分のいないライブを見ていた頃とは比べるべくもないほど、STU48にとって欠かせないメンバーとなった心愛さんは、これからどんどん航海の先頭に立って突き進んでいくのだろうなと想像しながら、私は遠くから見守っています。改めて、17歳の誕生日おめでとうございます。素晴らしい飛躍の1年となりますように。

 

 

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HKT48初体験が新劇場初日だった

最初にして最高のHKT48に出会ってしまった思いだ。HKT48の新しい劇場である西日本シティ銀行HKT48劇場のオープン記念公演を見てきた。コロナ禍で大変ですがオープンおめでとうございます。収容人数300人のところをさらに減らして128人しか見られないとのことで、まあ当たらないだろうけど記念に申し込んでみたらまさかまさかの当選してしまった。初劇場公演。信じられない。東京から福岡に引越してきてまだ1ヶ月も経っていないが、今のところ福岡に引越してきていちばんうれしい出来事です。

タイトルでHKT48初体験と書いたが、正確には2017年のTIFと先日の市役所前の広場で遠くから見た。ここ数年の私はSTU48メインのオタク活動をしているが、よくよく思い出したら48系はSTU48以外はAKB48の劇場公演しか見たことがなかった。リクアワなどのいろんなグループが集合するライブも行ったことがない。劇場でちゃんとしたHKT48の公演を見るのは本当に今回が初めてだった。

オープン記念公演は客数を減らしたり、マスクにフェイスシールドの完全防備など、出来る限りの対策をした上での開催だった。AKBの劇場公演でおなじみのビンゴは無くなり、チケット発券時に3枚のカードから選んだ1枚に書かれている数字が席番号となってチケットが発券される仕組みとなった。まさに己の腕が試されるわけで、私はちょうど真ん中辺りの下手の席だった。入場待ちのロビーはちょっと狭く感じたけど、新劇場の客席は程良い傾斜があって見易いです。

既に各所でレポートが上がっている通り、新劇場の柿落とし公演は活動中の全メンバー出演によるシングル全曲披露公演だった。しかもすべてフルサイズでのパフォーマンス。1stシングル『スキ!スキ!スキップ!』から最新シングルの『3-2』までを順に歌っていく公演は、まさしくHKT48の歴史を再体験する時間だった。HKTビギナーの私のためのような公演で非常に有り難かった。いちばん新しいのが『3-2』ということもあるが、シングルを順に追っていくとグループが大人になっていってる雰囲気を感じる。

シングルは全部で13枚。9年近い活動期間は様々なことがあっただろうがグループが続いているのはすごい。アイドルに限ったことではないけれど、とにかく続けていくことが何よりもすごいことだと活動の長い人達を見ると思い知らされる。少なくとも惰性では続けられない。惰性の先には必ず振り落とされる瞬間がある。今ステージに立っているのはそこに立ちたい意志があるからだろうし、その志を受け取れる場に立ち会えたことに感謝しかない。

公演の話に戻ると、HKTのシングル曲は結構知っているなという新鮮な驚きがあった。もちろん私がよく見ているSTU48で『メロンジュース』や『12秒』などをカバーしていることもあるが、HKTのシングルは耳に残りやすい。そして曲は知っていても衣装は初めて見る曲が多くて、それも改めて新鮮だった。1曲ずつ衣装が変わるなんて、こんな豪華なライブをそこまで大きくはない会場で見れる経験はそうそうない。そして初めてちゃんと見た『3-2』の衣装の色合いが私は結構好きです。春リリースなのに秋色なので今の季節にも合いますね。

ありふれた表現になってしまうが本当にステージが眩しかった。これまで彼女達が受け取ったたくさんの愛がそれぞれの内で凝縮し眩い光を放っていた。アイドルは光だ。すべてを照らし、照らし返す光だ。天の光はすべて星だが、地上にはアイドルがいる。『センチメンタルトレイン』にあるように私達は光と共にある。どうしようもない世界のせいでアイドルから遠ざかっていた私には、久しぶりに目の前で輝く光によってホワイトアウトしたかのようだった。

メンバーが入れ替わり立ち替わりパフォーマンスしていく光景にただただ圧倒された。宝塚のレビューではないけれど人が多いのは単純に強いし正義です。ステージのどこを見ても可愛い。ここでいう可愛いとはステージにアイドルとして立つことを覚悟している人が見せる美しさ、を可愛いと言っています。

だからこそどの方向に視線を向けても可愛いのに名前がわからない人がいた事実に自己嫌悪した。当選が決まってから、週末を使って映像倉庫でHKTの動画をたくさん見た。なんとか9割ぐらいは顔と名前を覚えた。もともと自分のHKTの情報源は数年前のおでかけという根っからのおでかけ大好きチルドレンなので、4期ぐらいまではだいたい認識していたのだけど、それ以降がさっぱり(しかも知ってる人でも既に卒業してたりする)。頑張って覚えたけれど実際にステージで動いている姿を見るとわからない人がたくさんいた。全然予習が足りなかった。ごめんなさい。

それでもステージ上に見たい人がたくさんいて視線が定まらない。やっぱり生のライブは最高だ。どこを見るのも自分で決められる。見たいところにカメラが向かないもどかしい配信映像とは違う。一人をずっと追ってもいいし、目の前に来た人を代わる代わる見てもいいし、カメラに見る対象を指示されない解放感が快かった。

劇場公演は初めてといっても、HKTのメンバーとは何度か握手会で握手したことがある。AKBの握手会でSTUのメンバーと握手するついでといっては失礼だけど、せっかく同じ場にいるのならと幕張メッセパシフィコ横浜でHKTの何人かと握手したことがある。幸運にも抽選が当たって豊永阿紀さんとは2ショットを撮ったこともある。だからといってはなんだけど、HKT48の一推しは敢えて挙げるなら豊永阿紀さんだ。レベッカブティックを着ている豊永さんが最高に素敵で大好きなので、レベッカブティックを着ている豊永さんのオタクだ。

ブログやSNSなどから垣間見える彼女の生きる世界の広さがとても魅力的で、もっと知ろうとすればするほどわからないことが増えていく彼女の内面の深さに惹かれる。個人的にはアンジュルムを好きな人はそれだけで信用してしまいます。しかしパフォーマンスは映像でしか見たことがなかったので、公演でアイドルとしての彼女をダイレクトに感じられたのがよかった。

豊永さんはこの公演では『しぇからしか!』でセンターだった。演技派だという噂通り、『しぇからしか!』の豊永さんはそれはそれは男気溢れるパフォーマンスだった。2015冬ハロコンの『大器晩成』の最後の佐々木莉佳子さんを彷彿とさせるような最大瞬間風速のかっこよさに射抜かれた(下のリンクのやつです)。

 

私にとって『しぇからしか!』はSTU48の課外活動ユニットMiKER!の持ち曲という印象で、この曲での甲斐心愛さんも豊永さんに負けないぐらいめちゃくちゃかっこいい。両者ともここぞという場面での思いきりが最高に気持ち良い。私が好きになるアイドルは皆『しぇからしか!』がかっこいいという偶然に、自分のアイドルの見方の一貫性に図らずも安堵したような気分になった。

他のメンバーも今まで映像でしか触れてなかったので、やっとパフォーマンスを生で見れて感慨深かった。気になってたならもっと早くライブに行っておきなさいよと突っ込まれそうだが、こればかりはタイミングで私にとってはこの日がその瞬間だったのだ。お洒落インスタグラマーとしてしか最近は認識してなかったびびあんちゃんも、やっと歌って踊っている姿を見れて、本当にアイドルなんだと確認出来たのもうれしかった。私はびびちゃんのインスタ大好きです。最近気になり始めていた渡部愛加里さんは、だからなのか意外と視界に入ることが多くて笑顔が素敵だった。最初のMCでの下野由貴さんの涙を見て、私みたいな新参が当たったのは申し訳ないなと思ったので、今出来ることはこれだけと必死に公演を見た。あとはやはり森保まどかさんと松岡菜摘さんの存在感がすごいですね。『キスは待つしかないのでしょうか?』の森保さん素晴らしかった。私がHKTのシングルの中でいちばん思い入れがあるのはキス待ちで、単にMVが好きで最も繰り返し見た曲という理由だけど、間奏のセリフからのクルッと回転するシーンが大好きで、それを生で見られたことにちょっと感動してしまった。

HKT初心者なので見るものすべてが新鮮。HKTに通い詰めたファンには見慣れた光景だろうと、私にはベテランメンバーも若いメンバーもすべてが等しく新鮮に写る。全員が私には初めての劇場での出会いであって、ここからまた何かが始まるかもしれない。

この文章を書きながらもこれがオタク3日目の熱量だということも十分わかっていて、アイドルの陽の部分しか見えてないこともわかっている。いつまでこの熱量が続くかもわからないので、熱が醒めないうちに次のチケット当たってください〜

ともかくの今の厳しい状況で劇場をオープン出来たことはうれしいし、これからも無事に公演を続けられることを祈ってます。素晴らしい公演をありがとうございました。

 

 

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ファンレター

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届くか届かないかわからない、曖昧な希望のような言葉を書くのが好きだ。つまりファンレターのことだ。ただただ一方的な感謝と好意を綴って相手に送る。それは文通ではなく、片想いのコミュニケーションだ。

読んでくれたらもちろんうれしいけれど、受け取ってくれるだけでも私はうれしい。アイドルとして私が今いちばん好きなのはSTU48の甲斐心愛さんだけど、彼女にもファンレターをたまに認める。しかし心愛さんにちゃんと届いたのか私にはわからない。認知もないので確かめる術もない。〇〇ですけどもファンレター読みましたかと訊ねるのもかっこ悪いですしね。

それでも私は書く。ライブを見たりして高まった自分の気持ちを、書くことで落ち着けて整理している。だから書き終わっただけで満足してしまうこともある。ついでに投函みたいな気持ちも多少あるので、読んでくれなくても構わないという思いもある。

いつも書けるとは限らない。やはりライブを見たりとか、心をとても動かされた時にしか書けない。だから現場のない今の状況ではあまり書く気が起きない。代わりといってなんだけど、醒めた温度のnoteを書いてしまう。現場がないと盲目的なオタクにはなれないんですよ。

ファンレターの内容は、ライブの感想など、相手のどこが好きなのかをとにかく書く。どうしても重く長文になってしまうのが悩み。軽やかにいきたい。誰もが言うように、オタクは説教しないで褒めるだけ。これに尽きる。私もたくさん褒めたい。だけど語彙力が貧弱なのでいつも同じ感じの文章になってしまうのがつらい。

他の人のファンレターの書き方ブログを読むのも好きだ。オタク千差万別。イラストを描いたり、便箋を自作する人などすごいなと思う。人によっては、同じ相手には同じ便箋を使い続けることもあるそうだけれど、私は毎回レターセットを変えて書く。どのレターセットが相応しいか、相手のことや季節などを考えながら決めるのが楽しい。

ロフトやハンズでは買えない、例えば個展の物販などで購入した、おそらく二度と手に入らないだろうレターセットを使う時は勇気が要る。本当に今この人のために使っていいのか迷う。なので、その迷った末の選択が相手に喜ばれるととてもうれしい。

先日の休みの日、どこに出かけるでもなく部屋の掃除をしていたら、使用未使用含めてたくさんのレターセットやポストカードが出てきた。溜めに溜めたなと思う。書く回数よりも買う回数のほうが多いので、溜まるのは当たり前だ。文具屋さんに行って気になったレターセットがあると、今書きたい相手がいなくても買ってしまう。次にそのお店を訪れた時もその商品があるとは限らないからだ。特に輸入物に多い。そうやって部屋にレターセットが溜まっていく。

最近は出雲にっきさんにファンレターを書いた。ZINEへの感謝を書いた。だけどこれ以上書こうとすると、ただの近況報告になってしまいそうなので、今は躊躇っている。直接手渡せるのはうれしいが、読まれることを考えると緊張する。しかし彼女へのファンレターぐらいの、近すぎず遠すぎずの距離感が私は好きだ。

ファンレターは流れ星への願い事のように儚い言葉たちだ。特段親しくもないファンの、伝わるか朧げな思いが紙に乗って届けられる。好意の切実さと裏腹に、届くかわからない言葉に心を込める。無意味に終わるかもしれない作業に没頭出来ることこそ好きである証だと信じ、これからもファンレターを書くだろう。いつも優しく受け取ってくれる方々には感謝しかない。どうか光が消え入る前に言葉が届きますように。

 

鈴木絢音『光の角度』と記憶の旅

鈴木絢音さんの写真集『光の角度』を読みました。久しぶりに買ったアイドル写真集。何故ならもちろん鈴木絢音さんが好きだということもあるけれど、カメラマンが私も大好きで信頼している新津保建秀さんだからだ。私の好きな写真集をいくつか撮影している人だ。タヒチで撮影された写真集は絢音さんの様々な表情を捉えていて素晴らしかった。写真集は当たり前だけど動画ではなく写真なので、そこには音が無い。届けられるのは無音の旅。秋の夜、部屋でページをめくるその静謐な空気が絢音さんに似合っていた。

好きなアイドルと好きなカメラマンなので当然のように素晴らしい。日本を遠く離れたからか、高揚した気分とそれでも自分を見失わないよう抑制しているような揺れ動く絢音さんがいて、そこに新津保さんの淡々とした眼差しがまっすぐ向けられているのが素晴らしい。合間にタヒチそのものが挟まれているのも旅行記のようで私は好きだ。

写真には撮った人と撮られた人の、それぞれの撮影の瞬間、時間、空間の記憶が閉じ込められる。写真を通じて彼らがその記憶を呼び起こされるのは通常として、全くの他人で単なる通りすがりの私のような人がその写真を見ると、それはもう人それぞれなので様々なことを感じ取る。例えば絢音さんの表情が握手会で見た表情と一緒だとか、タヒチ行きたいなあとか、それは見る人によって千差万別だ。

私はこの写真集から遠い記憶を思い出した。それは鈴木絢音さんから遠く離れて、南国のタヒチとは正反対の彩度の低い北国での、寒く静かな冬の記憶だ。

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私が大学生活にも慣れてきた大学2年生だった頃、ある不安があった。このまま惰性で過ごしていたら無駄に時間だけが過ぎて大学生活が終わってしまうのではないかというよくある不安だ。何もしなくてもいいが何かしなくては今がもったいない、そんな焦燥感があった。当時の私は今よりもずっと意識が高かった。そこで私が思いついたのはありきたりだが海外に行ってみようというものだった。

思い立ったらあまり迷うことなく海外に行くことに決めた。行き先はボストン。西海岸より東海岸のほうが自分には合うと思ったからだ。春休みを利用しての1ヶ月間のホームステイ。ちょうど季節は冬で、冬のボストンは夏に比べて費用がかからないことも幸いした。パスポートも初めて取得した。準備している間は初めての海外の不安もなかった気がする。自分の中に勢いがあった。

私が訪れたタイミングのボストンは、ニューイングランドペイトリオッツスーパーボウルを勝って一息ついた祭りの後だった。またボストンはアメリカの中でも比較的治安の良い街という事前の情報だったが、滞在期間中に2件の殺人事件があって、しかもそのうちの1件は私もよく行っていたドラッグストアでの事件でちょっと怖かった。

もう遠い学生時代のことなのにボストンの思い出は今も鮮やかに覚えている。鮮やかといっても記憶の中の風景は雪とレンガと冷たい空気で占められていて、彩度の低い静かな風景だ。アメリカに行くにあたり初めてデジカメを買って写真も撮ったのだけど、もうその画像がハードディスクのどこに行ってしまったのかもわからず、現在は本当に記憶の中にしか私のボストンはない。

この初めての海外滞在で覚えたのはスタバと美術館巡りだ。ホームステイしている家に帰る前、駅に併設されていたスタバでよくラテを飲んだ。たぶん今までの人生でいちばんスタバを飲んでいた時期だと思う。これでもかとシナモンを入れて飲んでいた。注文に慣れていない私にアメリカのスタバの店員は優しかった。私はスタバをよく飲んでいたが、道行くアメリカ人はダンキンドーナツの大きいコーヒーカップを持ちながら歩いていた。

同じくアメリカで覚えた習慣は美術鑑賞だ。ボストンの美術館は学生証を見せると、どこも無料か安い学生料金で入ることが出来た。授業が終わっても放課後遊ぶ友人がいなかった私は、いろいろな美術館や博物館を見て回った。

ボストンで最も大きな美術館はボストン美術館である。とにかく大きな美術館で、数回行った私でも全部を見ることは出来なかった。全世界の美術品が集められていて、そのボストン美術館が誇る膨大な収蔵品の中でも有名な作品のひとつがポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』である。ゴーギャンの代表作であり、タヒチ滞在時に描いた作品だ。

ボストン美術館の売れっ子選手なのでよく貸し出されていて、私が滞在していた時にこの絵が久しぶりにボストンに帰ってきたということで大々的にゴーギャンお帰りなさいイベントが開催された。普段そこまで混んでいない美術館でも、このゴーギャンばかりは行列が出来ていたと記憶している。

それまでもボストン美術館で見たモネやターナー、エジプトの美術品などで自分の美術館体験がキャパオーバー気味に溢れていて、そこにゴーギャンが加わってもあまり感慨もなく、美術館側の盛り上がりとは裏腹に冷静に見ていたのを覚えている。絵は夏の日陰を思わせる仄暗い妖しさを帯びていた。

『光の角度』を見て、遠い昔のボストンを思い出した。2つを繋げたのはゴーギャンだが、私の記憶にも、写真集にもゴーギャンの影は微少だ。しかし写真集を見て感じる静けさと、記憶の中のボストンの冬の静けさが私には重なる。正反対の異なる2つの土地の風景が私の中で多重露光されて写される。それは強引かもしれないが、アイドルとの物語なんてどれもこじつけに近いのだからと言い訳しつつ、とても心地良い体験だ。

結局これはただの自分語りではないかと言われればそれはそうとしか返せないけれど、私の言葉を引き出してくれるだけの引力がこの写真集にあるわけで、それは特別なことだ。ほんのちょっとした偶然に運命を感じるのは若い人だけの特権ではない。

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結果的にそのアメリカへの語学留学によって英語が出来るようになったかといえば今はまったく喋れない。帰国して普通の学生生活に戻った私に残ったのは、言葉が通じない国でもなんとか生きていくことが出来るんだという不思議な自信だ。

その裏付けのない自信は今も続いていて、無理かもしれない状況をなんとかなるの精神で生き延びている。そしてそのぎりぎりの自信さえも折れそうなときに傍らにいてくれるのが鈴木絢音さんでありアイドルなのだろうと彼女らに感謝している。この写真集は、やる気に溢れていた昔の自分を思い出させ、今の私の背をそっと押してくれる。巡り巡ってこれは絢音さんのおかげだ。

私の記憶の扉を開ける鍵として『光の角度』に出会ったのだと思う。それは幸運な出会いだ。素晴らしい写真集をありがとうございました。

 

 

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東京から福岡に移り住んで

2020年10月、東京から福岡に移住した。

生まれて初めての関東以外での生活だ。移住した理由は、ちょうど部屋の契約更新のタイミングで引越そうと考えたところ、東京は暮らしやすいけどなにがなんでも東京に住みたいという感じでもなくなってきたので、いっそのこと東京を離れてもいいかなと思ったからだ。ただ関東近郊だとやっぱり東京に未練が残りそうなので、思いきって関東を離れて福岡に移ることを決めた。私のことをよく知っている人から、当然の疑問としてなんでそこで瀬戸内ではないのかと聞かれたけれど、東京は離れても私は都会でしか暮らせない気がしたので瀬戸内は選択肢から外した。まだ島で暮らす勇気はない。

仕事は現状フルリモートなので問題なかった。働き方の多様性に理解のある会社でよかった。

まだ福岡での生活は始まったばかりで、今後どうなっていくのかはわからないけれど、とにかく生きるぞという気持ちで漲っている。

引越しを経て、私はかなり前向きになった。それまでの私は惰性で生きていた。めちゃくちゃ稼いでいるわけではないけれど必要十分の収入はあって、将来の不安はあれどそこそこ幸せで、というよくある独身三十代。

仕事で疲れた夜、布団に入って暗い天井を見つめながら、いつふらっと死んでしまったとしてもあまり未練はないなと思うことがよくあった。もちろん本当は死にたくはないけれど、結局ここまで生きてこれたのは単に運が良かったのだと思うし、いつその幸運が離れるかもわからないわけで、天に運を任せるみたいな諦念に包まれていた。ここまで生きてこれたのは奇跡みたいな気持ちがある。

しかし引越しと福岡での新生活を始めてみて、そのようなネガティブ思考が薄れてきた。

新しい住まいを決めてから引越しまでの約1ヶ月間はやらなければいけないことが多く、精神的にとても疲れた。何かを決めることはとにかく疲れる。面倒になって諦めたくなる時もあったが、ここで止まってはいけない、最後までやり通さなければとなんとか気合いを入れて頑張った。

そのような引越しの忙しさ、そして新しい土地での暮らしは私をネガティブな思考から遠ざけてくれた。ポジティブになったと言える自信はないけれど、少なくとも新生活を楽しむ意欲はある。自分の選択に間違いがなかったことを確かめるためにはとにかく楽しむしかない。

今のところ引越してよかったと思っている。東京の友人とも離れて、今は完全に独りの生活だけど根拠のない余裕もある。大丈夫、私はまだ大丈夫。

 

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