ファンレター

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届くか届かないかわからない、曖昧な希望のような言葉を書くのが好きだ。つまりファンレターのことだ。ただただ一方的な感謝と好意を綴って相手に送る。それは文通ではなく、片想いのコミュニケーションだ。

読んでくれたらもちろんうれしいけれど、受け取ってくれるだけでも私はうれしい。アイドルとして私が今いちばん好きなのはSTU48の甲斐心愛さんだけど、彼女にもファンレターをたまに認める。しかし心愛さんにちゃんと届いたのか私にはわからない。認知もないので確かめる術もない。〇〇ですけどもファンレター読みましたかと訊ねるのもかっこ悪いですしね。

それでも私は書く。ライブを見たりして高まった自分の気持ちを、書くことで落ち着けて整理している。だから書き終わっただけで満足してしまうこともある。ついでに投函みたいな気持ちも多少あるので、読んでくれなくても構わないという思いもある。

いつも書けるとは限らない。やはりライブを見たりとか、心をとても動かされた時にしか書けない。だから現場のない今の状況ではあまり書く気が起きない。代わりといってなんだけど、醒めた温度のnoteを書いてしまう。現場がないと盲目的なオタクにはなれないんですよ。

ファンレターの内容は、ライブの感想など、相手のどこが好きなのかをとにかく書く。どうしても重く長文になってしまうのが悩み。軽やかにいきたい。誰もが言うように、オタクは説教しないで褒めるだけ。これに尽きる。私もたくさん褒めたい。だけど語彙力が貧弱なのでいつも同じ感じの文章になってしまうのがつらい。

他の人のファンレターの書き方ブログを読むのも好きだ。オタク千差万別。イラストを描いたり、便箋を自作する人などすごいなと思う。人によっては、同じ相手には同じ便箋を使い続けることもあるそうだけれど、私は毎回レターセットを変えて書く。どのレターセットが相応しいか、相手のことや季節などを考えながら決めるのが楽しい。

ロフトやハンズでは買えない、例えば個展の物販などで購入した、おそらく二度と手に入らないだろうレターセットを使う時は勇気が要る。本当に今この人のために使っていいのか迷う。なので、その迷った末の選択が相手に喜ばれるととてもうれしい。

先日の休みの日、どこに出かけるでもなく部屋の掃除をしていたら、使用未使用含めてたくさんのレターセットやポストカードが出てきた。溜めに溜めたなと思う。書く回数よりも買う回数のほうが多いので、溜まるのは当たり前だ。文具屋さんに行って気になったレターセットがあると、今書きたい相手がいなくても買ってしまう。次にそのお店を訪れた時もその商品があるとは限らないからだ。特に輸入物に多い。そうやって部屋にレターセットが溜まっていく。

最近は出雲にっきさんにファンレターを書いた。ZINEへの感謝を書いた。だけどこれ以上書こうとすると、ただの近況報告になってしまいそうなので、今は躊躇っている。直接手渡せるのはうれしいが、読まれることを考えると緊張する。しかし彼女へのファンレターぐらいの、近すぎず遠すぎずの距離感が私は好きだ。

ファンレターは流れ星への願い事のように儚い言葉たちだ。特段親しくもないファンの、伝わるか朧げな思いが紙に乗って届けられる。好意の切実さと裏腹に、届くかわからない言葉に心を込める。無意味に終わるかもしれない作業に没頭出来ることこそ好きである証だと信じ、これからもファンレターを書くだろう。いつも優しく受け取ってくれる方々には感謝しかない。どうか光が消え入る前に言葉が届きますように。