写真を選ぶ悩ましさについて

 久しぶりに一眼レフで写真を撮りました。写真を撮ること自体は好きなのですが、ここ2、3年の私はiPhoneで撮るかフィルムのコンパクトカメラで撮ることが多く、それらに比べてかなり重たいデジタル一眼レフは持ち歩くことがほとんどありませんでした。重いのもあるし、画像を取り込んだりするのも面倒ですしね。そんな自分が久しぶりにデジカメで撮ろうと思ったきっかけは、The Creators 2021というイベントでHKT48を撮れるかもしれないと考えたからです。去年のそのイベントでのHKT48は撮影出来たので、今年も撮影出来るだろうとデジカメを準備しました。数年ぶりに充電したバッテリーが全然100%にならなくて寿命かと不安になりましたが。

 

 結局イベント当日に撮影禁止のアナウンスがあってHKT48は撮れなかったのですが、デジカメモチベが高まっているところだったので、それでも何か撮りたいなあと思っていたら、Jリーグアビスパ福岡横浜FCの試合に豊永阿紀さんがゲストでやってくることを知り、こちらは過去の試合から撮れることがわかっていたので、デジカメを持ってベススタまで行ってきました。スタジアムに入場してから自分の座席エリアが撮影には向いていない席だったのがわかり、結果としては豊永さんを撮れるには撮れましたが、納得出来る撮影だったかというと悔しさの残るものでした(自分のミスです)。試合は後半ATにアビスパが同点ゴールを決めて、勝てはしなかったけど盛り上がって面白かったです。

 

 帰宅して写真をチェックして、インターネットにアップ出来そうなものを探したのですが(基準がそこなのはそもそもどうなのかとは思いますが)、撮れるタイミングも少なかったとはいえ、まあ撮れ高が少ない…。それでも数枚、これならというものを選びました。しかし自分でも完璧に納得のいく写真ではなくて、このようにちょっとでも躊躇が伴う写真をSNSにアップすると必ず後悔するのは過去の経験からわかっているので、ツイッターのように拡散しやすいSNSには投稿せずに、インスグラムのストーリーにだけアップしました。

 

 ストーリーでは豊永阿紀さんに@を付けてアップしました。ありがたいことに豊永さんはファンのストーリーもチェックしてくれるので、あまり大っぴらに公開したくはないけど、豊永さんには伝えたい気持ちはあって@を付けました(しかし自分がもしアイドルだったらファンのストーリーでも怖くて見れないだろうから、豊永さんの胆力というか信頼してくれてる感じは本当にうれしいです)。

 

 ただ私はそのストーリーに、ツイッターに上げるほどの自信がないと書いたのですが、この点についてアップした後もずっと考えていて、ずっともやもやしたまま終わらせるのもよくないと思い、いっそ言語化しようと、それがこのブログを書いた次第です。

 

 もやもやの大きな部分を占めているのは、写真の公開非公開を自分が判断していいのかということです。ジャッジすることが被写体を否定しているようで心苦しくなりました。これは半目だからちょっとなあと思うことや(これは仕方ない)、取捨選択することが私の価値観で相手を削っているようで、そう感じることで自分自身も削られてしんどかった(最近ちょっと気にしすぎなのかもしれませんが)。だからといって、どんな瞬間の推しも可愛いでしょ、と推しに対する盲目的な愛でもって何でもアップしてしまうのも違うと思うし難しいところです。

 

 またツイッターにアップしないことに対して、正確には私が撮る豊永さんの写真がアップするクオリティに達していない、つまり私の技術的な問題でアップしないのですが、なんとなく豊永さんに問題があるように受け取られてしまいそうで、そこがもどかしいです。しかしそう感じてしまうのは、本心ではそのように思っているから不安があるのではという疑いもあります。自分が豊永さんをどう見ているのか問われています。

 

 とか考えても、アイドルは日々SNSのいいね数などでどんな自分が好まれているのかジャッジされているわけでもあり、慣れているのだからいちいちファンが気にすることではないのではと思いつつも、慣れでスルーしてはいけないはずです。

 

 以前あるアイドルの写真を公開したら、後で当人からその写真の表情が自分的には好きではないと伝えられ、申し訳ないなと削除したことがあります。ただその写真も私から見たらいい表情だなと思っていたので、判断基準は人によるわけです。また乃木坂46が乃木坂工事中の企画で、メンバー自身の納得のいかない写真を公開したことがあり、プロフィール写真やCDの宣伝などでがっつり使われていた写真もダメ出しされていて、被写体にとっても作り手側にとってもつらい回がありました。本当に難しい。

 

 こちらがいちばん安心出来るのは撮影会で一般的な、公開したい写真が公開可能かどうか被写体側に確認する方法です。しかしHKTがいちオタクの野良撮影の問い合わせに対応するのかと考えたらしないでしょうし、本人も返答出来ないでしょう。こちらの良心に任せるしかない。そこまで悩むなら公開しなくていいじゃないと思うところですが、その一方で写真を褒められたいという欲もあります。推しの良さを広めたいといった模範的なオタクとは異なる、とても利己的に生きている自分なので、どこでその欲望と折り合いをつけるか難しいです。

 

 数年前のよくアイドルの写真を撮っていた頃はこのような悩みもなかった(気がします)。何故今回ここまで考え込むようになったかというと、時代が変化して自分もその流れを学んでいることもあるけれど、それよりも相手が豊永阿紀さんということが大きいです。アイドルとファンの関係であっても、豊永さんの近づき方は積極的過ぎるので、こちらもより丁寧に向き合わなければいけないと気を引き締めます(私から見たら自ら傷つきに行っているのではと時折心配になります)。豊永さんとの距離感の近さで戸惑うなら、じゃあ遠ければいいのかといえばそういうことではないわけで、どんな距離の関係でも謙虚でなければいけません。

 

 豊永さんとの距離の近さと書きましたが、実際近いかというと、近くはないです。現状のHKT48に関しては一方通行のコミュニケーションのみなので常に不安があります。相手に届かない壁打ちの愛ならともかく、届いているかもしれないが反応がわからないので不安です。しかも私はコロナ禍以降のリアルなコミュニケーションを断たれた後の新規ファンなので手応えがわからない。

 

 HKT48を好きになって1年、メンバーと会話出来たのはオンラインお話し会での豊永さん1回のみという状況で、よく自分は好きでいられ続けているなと思います。昨今の距離の近いアイドルに慣れきった自分がここまで我慢出来ていることに自分自身驚いています。ここまでくると次に会える時の怖さもあります。一方通行のコミュニケーションが実はあらぬ方向への暴走だったりする不安もあり、実際これまでの自分の行いが試される機会であった豊永さんとの初めてのオンラインお話し会はとても緊張しました。

 

 話が写真とは違う方向に進んでしまったので写真に戻すと、理想としては良い関係を築けた上で写真を撮りたいですね。そうなれば悩むこともなくなるはずです。豊永さん自身が好きな豊永さんを私も理解して好きになれたらと思っています。そしていつかは豊永さんをフィルムで撮りたい。そんな日が訪れることを願いながら、遠くから見守る日々がまだもう少し続くのでしょう。